ウイルスの感染の広がりと幸福かどうかの線引き

 幸福とはどういうあり方を言うのだろうか。それは人それぞれによってさまざまなものではあるだろう。

 作家の浅田次郎氏は絶対幸福主義を言っていた。かなり低いところに幸福の線引きを置いたものだ。つぎの(当面の)食事にありつけるお金があって、いま自分の命を誰かにねらわれていないのであれば、さしあたっては幸福であると言えるという。さしあたりの苦労がなければまずはよいのだと見なす。

 このかなり低いところの幸福の線引きを下回ることになるおそれが、新型コロナウイルスへの感染が広まっている中でおきているところが人によってはあるかもしれない。生活に困ることになるほど個人の経済のふところ具合がさし迫っていたり、ウイルスによって自分の命がおびやかされたりする。政権の政治の失策によってよけいに自分の命がおびやかされかねないことになるのをつけ加えることもできる。危険が個人化されて、個人がそれを背負わされてしまう。

 政治では民の生活を安んじることがいるが、それをなすのが難しいことがおきているきびしさはあるにせよ、それがないがしろになっていて、とくに弱者にしわ寄せが行っているのがあるのなら見すごすことはできないことである。

 参照文献 『絶対幸福主義』浅田次郎