自粛と補償はセットであることがいると言われている

 自粛と補償はセットで行なうことがいる。その二つは一体でなければならない。そう言われている。新型コロナウイルスへの感染が広まっている中で、自粛をすることが求められているが、補償の見こみははっきりとしていない。

 与党である自由民主党は、補償についてそれを行なうことをしぶっている。補償をすると、受けとれる人と受けとれない人とで不公平がおきることになるとしている。

 補償をするべきかどうかでは、そこに順機能(プラス)と逆機能(マイナス)がはたらく。逆機能よりも順機能のほうがより上回ることが見こめるのであれば、補償を行なうようにするのは一考だ。また、逆機能がおきることをできるだけ少なくできるような補償のあり方を行なうようにすることもさぐれる。

 補償をしないことがよいとばかりは言えそうにない。与党が言っているように、それをすることから来る不公平はまぬがれるかもしれないが、それにまつわる逆機能がおきてくることもいなめない。

 自粛だけ求めて補償をしないのであれば、そこから来る逆機能がおきてくるから、それを何とかするための手だてとしてできるだけうまい形で補償を行なうようにするのは一つの手である。

 補償をすることで不公平がおきてくるのなら、そこに問題があるとは言えるが、それとは別に、自粛だけを求めて補償をしないことにもまた問題があるのだということもできる。補償をしないのだとしても、それにまつわる不公平さは避けられるかもしれないが、自粛だけを求めて補償はしないことから来る問題は放ったらかし(そのまま)になりかねない。

 自粛だけを求めて補償はしないことから来る問題を解決するための策は何なのかをはっきりとさせて、それを少しでも解決することがあったらよい。その解決の策の一つとして補償を行なうことがあげられている。補償を行なうことが、はじめの状態から(問題が解決された)目標の状態に少しでも近づくことにつながるとすれば、問題の解決には益になる。目標の状態に少しでも近づけるのかどうかや、そうはならずにはじめの状態のままにとどまるのかのちがいが一つの肝心な点だ。

 参照文献 『できる大人はこう考える』高瀬淳一 『創造力をみがくヒント』伊藤進