作品としての本か、(作者から切り離された)テクストか

 作品かテクストか。作品であれば、作者と結びついている。かたやテクストであれば、作者はテクストの外にある。作者はテクストに外在的だ。作者がこうだとする意図に、受け手はしばられない。自由である。これは文学のテクスト理論によるものだ。

 批評家のロラン・バルトは、作者の死を宣告した。作者の死は、読者の誕生によってあがなわれるとされる。

 ウィキペディアなどからことわりなく引用してつくられた歴史の本があるが、これを一つの作品としてではなくて、テクストとして見るとらえ方がなりたつ。

 作品ということであれば、はじめから終わりまで一貫性があるということになる。そうではなくてテクストとしてとらえれば、その中に色々な矛盾があるということになる。断片の寄り集まりであって、テクストの中には、さまざまなものが、意図されざるものを含めて織りこまれているのだ。

 テクストは織り物(texture)ということから来ている。作者が意識によってあらわしたものだけではなくて、無意識があらわれる。時代や社会の影響もはたらく。それらは受け手によってとらえられることになる。

 参照文献 『アルチュセールの思想 歴史と認識』今村仁司 『超入門! 現代文学理論講座』亀井秀雄 蓼沼(たでぬま)正美