議員の身分は重いということだが、その形式はともかくとして、その内実(実質)は軽いのではないか(すべての議員ということではないが)

 野党六党派は、問題のある発言をした議員にたいする辞職の勧告の案を出した。この勧告には法的な拘束力がないようで、必ず従わないとならないような強制の命令ではないという。なので、議員は辞めないつもりのようだ。勧告に従って辞めるとなると、発言にまつわることで議員を辞めるという前例をつくるからまずいとのことだ。

 議員の言い分(言いわけ)は、修辞学で詭弁や虚偽とされる、滑りやすい坂の論法となるものだろう。前例ができてしまえば、それに当てはまる例がつづいてしまうからよくないということだ。

 勧告に従い、議員が辞めれば、滑りやすい坂となるような前例になってしまうのだろうか。さすがに、勧告を受けた議員と同じようなことは、そうそうはおきないのではないだろうか。

 議員は北方領土に元島民の人たちと共に行って、そこでお酒に酔い、同行した記者や元島民の人たちに無礼や失礼をはたらいた。取材中に勝手にあいだに割って入り、戦争をしないと北方領土をとり返せないのではないかとか、戦争の手を打ってでも北方領土をとり返すべきだとか、そういったことを言ったのだ。

 議員がしでかしたようなことは、そうそうおきるものではないから、たとえ辞めたとしても、それが前例となってあとにぞくぞくと引きつづくなんていうことはあまりおきないものだろう。むしろ、前例があることによって、うかつさをいましめる引きしめの効果があるのではないだろうか。それに、たとえ勧告に従って辞めようとも、もしくは従わずに辞めなくても、いずれにせよおろかな前例がつくられたことになるのにちがいはない。

 勧告によって辞めるのではなくて、有権者が次の選挙でその議員を落選させればよい、とも言われている。この意見には一理あることはまちがいがない。個人的には、勧告にできるだけ速やかに従うか、もしくはそれを忖度する努力をして、議員を辞めたほうがよいととらえられる。代わりはいくらでもいるからだ。かりに辞めないのだとしても、十分な説明責任(アカウンタビリティ)を果たすべきである。

 参照文献 『論理病をなおす! 処方箋としての詭弁』香西秀信