入国管理局による、施設の中にいる外国の人にたいする消極的義務の違反

 入国管理局では、体調不良の外国人を、病院に行かせていないのだという。体調がよくない外国の人がいるのなら、病院に行かせて治療を受けることが必要だ。

 ちがう話に置き換えられるとすると、目の前に池があって、そこで人がおぼれかけているときに、そこを通りかかった人(入国管理局)は、池でおぼれかけている人(外国の人)を助けることがいるかどうかがある。

 まったく同じこととして見られるかどうかはわからないが、入国管理局は、池の目の前を通りかかっていて、十分に助けられる力があるのにも関わらず、池でおぼれかけている人(外国の人)をそのままにしているのに等しいところがある。

 施設の中に外国の人を入れているのだから、入国管理局には、外国の人にたいする生存の権利を引きうける責任がある。国家をまたいだ責任だ。入国管理局およびいまの首相による政権はその責任を果たしているとは言えそうにない。

 入国管理局には、施設の中にいる外国の人がもつ生存の権利をうばうことは許されるものではないのだから、それをうばうのは加害の行為だ。加害の行為をなすのは消極の義務に反している。消極の義務とは、他者に加害の行為をなしてはならないというものだ。

 入国管理局には、自分たちの正義があって、それにもとづいて動いているのかもしれない。その正義は国家主義によるものだろう。国家主義は国民を人間として、それ以外の非人間を生み出す。非人間とされる人を生み出すことによって非人道の行為に結びつく。

 非人間の非人道のあつかいを受けるのは、特定の外国の人にのみ当てはまることではなく、日本の社会の中において、人間を非人間のようにあつかうことがまん延してしまっていることが察せられる。このもとには国家主義がある。国家主義によって、太い分断線が引かれているのだ。

 参照文献 『貧困の倫理学馬渕浩二ナショナリズムカニバリズム」(「現代思想」一九九一年二月号)今村仁司