歴史の本の内容が正しいかどうかと、一般の意見の使用

 何十万部もの本の売り上げを達する。本の量を売り上げることでは成功している。日本の通史をあらわした、内容が右寄りとされる歴史の本では、量として多くの売り上げを達しているということだ。

 たくさんの量が売れているからといって、それをもってして、本の中に書いてある歴史の内容が正しいと言えるのだろうか。それには待ったをかけるようにしたい。多くの量が売れていることから、本の中に記されている歴史の内容が正しいことだとするのは、一般の意見の使用である。

 この一般の意見の使用とは、例えば、視聴率が高いテレビ番組で言われていることは正しい内容であるとするのがあげられる。視聴率が高いのは、多くの人によって視聴されていることをあらわすが、それだからといって、テレビ番組で言われていることが正しい内容だとはかぎらない。

 多数の国民から支持されているからといって、政治の権力につく政治家が正しいことを言うとは見なすことができない。かつてのドイツでは、多数の国民から支持されてアドルフ・ヒトラーが長として選ばれたが、ヒトラーが正しいことを言ったとは言えないし、正しいことをやったとは言えないのがある。

 まちがった歴史ではなくて、正しい歴史を知って行く。それはよいことだ。そのさいに、歴史が正しいかまちがいかを見て行くときに、ついでのこととして、一般の意見の使用にも気をつけられればよい。

 学問において、多くの専門家が認めていることは、定説や通説となるものだけど、それは学問の裏づけがあることだから、たんに多くの数の人たちに受け入れられているということとはまたちょっとちがうものだろう。確かさの高い仮説として、相対的に正しいものであるのが定説や通説だと見なせる。

 どれだけの数(量)の本が売れたのかと、その本の中で言われている内容が正しいかどうかとは、切り離して見ることができる。多くの数が売れているからといって、その本の中で言われている内容が正しいとは決められないし、少ない数しか売れていないからといって、内容がまちがっていることには必ずしもならない。

 多くの数が売れている本だとしても、効率よくつくったために内容が粗雑で適正ではないことがあるし、少ない数しか売れていないとしても、しっかりとつくられていて内容が適正なことがある。そうであるとすれば、多くの数が売れているものよりも、少ない数しか売れていないもののほうが、ずっと信用に足ることになる。

 参照文献 『実践トレーニング! 論理思考力を鍛える本』小野田博一