政権に投げかけられたやじによる響きと怒り

 沖縄県の前県知事の県民葬が行なわれたという。そこに出席した政府の官房長官は、首相からたくされた気持ちを代わって朗読した。基地の負担が沖縄に集中していることに触れて、それを軽減することを目ざして行くという。官房長官が代読したこの首相の気持ちは、そのままうのみにすることはできそうにない。

 官房長官と与党の議員にたいして、県民葬のほかの参加者からやじが飛ばされた。葬儀が行なわれているときに官房長官や与党の議員にやじを飛ばすのは適したものではないとの声が言われている。個人としてはこれにはうなずくことはできず、むしろやじや怒声が飛ばないほうが不思議なくらいだろう。

 一般論でいえば、葬儀のさいにやじや怒声を飛ばすべきではない。しかし、個別として見ると、地域が抱える事情があるし、前県知事は県にある重い基地の負担をなくそうとがんばっていたのがある。それにきちんと聞く耳を持ってこなかったのがいまの政権だというのがある。冷遇していたのであり、厚遇していたのではない。

 葬儀のさいに官房長官や与党の議員にやじや怒声が飛ばされたのを、一つの現象として見ることができるとすると、その現象がおきたのは、いまの政権や日本の社会の全体に原因があると見られる。官房長官や与党の議員は、よほど顔の皮が厚いようであり、恥ずかしげもなく葬儀に出て、はなはだ疑わしいものである首相の気持ちを代わって朗読した。これはとくにほめられるものではないだろう。やじや怒声を浴びるのではまだまだ足りないくらいであり、国民の厳しい声を甘んじて受けるのがいる。