自由民主党に属する参議院議員の本の中にある情報は受け入れて、沖縄県の知事が言っていることは受け入れない、というのでは公平ではないだろう(どちらの見解も受け入れるか、またはどちらの見解も受け入れない、といったんはすることができる)

 沖縄県の知事選で、中国からの支援を受けていた。知事を務めていた人についてそれが言えるのはほぼ確定的である。静岡県沼津市の市議はそうした内容のツイートをしている。この情報の出どころは、自由民主党参議院議員による、ぼくらの哲学という本の中にあるものだとしている。

 沖縄県の知事が、知事選で中国からの支援を受けていたのはほぼ確定的だというのは、自民党参議院議員によるぼくらの哲学という本の中にある情報だという。それを沼津市の市議は見て、それが本当のことだとして、自分の中で理解して、ツイートをすることになった。

 自民党に属する参議院議員のぼくらの哲学という本の中に、沖縄県の知事が選挙戦で中国からの支援を受けていたという情報があったのだとしても、それに接するさいに、待ったをかけられればのぞましい。じっさいに中国からの支援を知事が受けていた具体的な証拠はあるのか、というふうに見ることができる。もし具体的な証拠がないのであれば、中国からの支援を受けていたということの信ぴょう性はそこまで高くはない。なので確定的というふうには言えないものである。

 証拠となるような事実があるのでないと、確かなものだとは言うことはできない。自民党に属する参議院議員のぼくらの哲学という本の中に書いてあるものについて、本を書いた本人のことをまるごと信用するということでもないかぎり、(本の中で)本当ではないことを言っているのではないかと疑うことができる。

 自民党参議院議員の本は、題名はぼくらの哲学というふうになっているが、確かな証拠がないのにもかかわらず、受け手をそそのかすようなことを言うのはよくないことだろう。そこについては、中国から支援を受けていたと言われてしまっている、知事を務めた人の言うことのほうが、(自民党参議院議員と比べれば)よほど哲学になっているのではないだろうか。アメリカの軍事基地という沖縄県に現実にあるものについてや、軍事基地があることでおきてしまうさまざまな負のことがらについて、きちんとした現実の事実をもとにして基地への反対を言っているからである。