公文書と政治にたいする信頼をはてしなくき損させたのだから、それを埋め合わせるのは並みたいていのことではない(壊すのは簡単だが、つくるのは難しい)

 自主的に給与を返納する。財務相はそうすることを表明したが、その額は一七〇万円ほどであるという。まったく返納しないよりはよいかもしれないが、厳しく言ってしまえば、就任したときからのすべての給与をさかのぼって一円残らず返納してもよいくらいなのではないか。それをしたとしてもまだ足りないくらいであり、その足りないというのは、額がということであるよりも、地位をなるべくすみやかに退くべきだということである。責任をとるためにである。

 財務省による公文書の改ざんについて、信頼を回復するのに努めるだとか、大臣を続投させて再建させるとかいうふうにしているけど、個人的なことを言わせてもらえるとすれば、これは寝ごとに等しいのではないかというふうにとらえられる。そもそも、財務省による公文書の改ざんについては、まだ問題解決にきちんと着手してすらいないのではないかと見ることができる。

 問題解決に着手してすらいないのだから、信頼の回復も再建もへったくれもない。きちんとした問題の発見すらされていない。まともな問題の定義もされていない。まずそこが出発点になるものであり、出発点に立てていないのだから、ゴールしてはいない。ゴールが何なのかは定まっていない。

 いま一度、出発点に立ち返ることがいるのがある。いまさらそんなことをするのはおかしいという声もあるかもしれないが、そもそも出発すらしていないのだから、出発点に返って最初からやり直すことがいるのだと見なしたい。絶対にそうすることが正しいというわけではないかもしれないが、一つにはそういうふうに見ることができるのはあるだろう。調査や検証のやり方がまずいのであれば、何回でも最初に戻ってやり直すことがいる。形だけやっても意味はあまりない。

 ことをおこした当事者がそのままいすわっているために、きちんとした問題解決をすることの足かせになってしまっている。そのことが一つの小さくはない問題である。この問題を何とかするためには、当事者がすみやかに地位を退くことがいる。とりわけ組織の長がそうすることがいる。それが一つの問題の解決になる。そのうえで、財務省が公文書を改ざんした問題に改めてとり組むための下地が整う。いまはまだ、その下地すら整っていない。なので、でたらめでいい加減なふうになってしまっている。

 財務省による公文書の改ざんという問題のうえに、当事者がそのままいすわりつづけているという問題が、重なって積み上がってしまっているのである。鏡もちみたいなふうだろうか。やっかいなことのうえに、やっかいなものが重なっていて、よりやっかいになってしまっている。やっかいなことを増やしてしまっている。ただでさえ大変なことなのだから、せめてやっかいなことを増やすべきではないし、そのためには当事者(組織の長)が地位を引き下がるのがのぞましい。それができないのであれば、はじめから長になるべきではなかっただろう。