若い人たちが保守化しているとの説には、ちょっとだけ疑問である

 若者の多くは保守を支持している。そのため、自由民主党へ投票している人たちが多いそうなのである。日本経済新聞の報道ではそのようになっている。はたしてこれは本当なのだろうか。

 若者とひとくくりにはできそうにはない。そうしたのが言えそうだ。今の世の中は複雑化しているのがあるから、不完全情報のもとにおかれるのをまぬがれないのがある。ウェブにある情報を色々ととり入れるにしても、それが偏っていない保証はない。まんべんなくというふうにはなかなかならないものであり、どうしても自分の好みのものをとり入れてしまいがちだ。情報過密社会にあっては、ものの見分けがつきづらく、玉を石としてしまったり、石を玉としてしまったりする。そうであるため、完全情報のもとでの選択とは言えそうにない。これは若者にかぎらず、どの世代においても多かれ少なかれ言えることではある。すごく賢明な判断で選択をしている人も中にはいるだろうけど。

 部分最適になってしまっているのもある。今の日本に適合する(または適合を欲する)人たちが多数派であると見なせるとして、その人たちの行動は、今の政権や現状をまっこうから否定するようなことにはなりづらい。これは、多数派にそれなりの恩恵がもたらされていればのことである。いっぽう、今の日本に不適合となってしまっている人を少数派と見なせるとすると、その人たちの行動は、部分最適にかなうものとはなりづらいのがある。そうして部分最適にはかなわないほうが、全体最適に近いこともなくはない。もっとも、ほんとうの全体最適とは何かははっきりとはわからないものであるのはたしかだから、断定はできないものである。

 タレントのデーブ・スペクター氏は、選挙後に放映される選挙特番について批判を投げかけていた。選挙後に放映される特番では、たとえば池上彰氏によるものなんかがあるけど、そうしたのを選挙後ではなく選挙中にやるべきだと言っている。そうでないと意味がないというのだ。これはもっともな指摘である。あたかも、ことわざでいうさわらぬ神にたたりなしみたいなふうに選挙中はなってしまっているのがいなめない。それが逆にたたってしまっている面があるのではないかという気がする。たたってしまっていると言うと変かもしれないけど、あだになってしまっているというか、長いものに巻かれようといった風潮を助長してしまっているような気がしないでもない。