首相の判断と決断主義―しっかりとした根拠がない決断による危険性がありえる

 政治で緊急のことがおきているときには、手を打つことに根拠はとくになくてもよい。それがなくてもかまわない。テレビ番組の出演者はそう言っていた。

 新型コロナウイルスが日本の社会の中で広まりはじめている中で、首相は小中高校の休校を決めたが、これには十分な科学の根拠が欠けていることが言われている。

 首相の休校の判断について、急なことなのだから、そう決めた根拠はなくてもよいのだという。こうしたことをするのはいまの野党にはとうていのぞめないから、野党は政権を任せるにはまったく頼りなくて、与党や首相はしっかりとしていてすごいのだという。

 たしかに、さし迫っているような急なことがおきているのであれば、十分な根拠がとれない中でものごとを決めないといけないときもあるかもしれない。それで結果論としてうまく行くことも中にはないではないかもしれない。うまく転がることもないではないだろうが、十分な根拠はなくてもよいのだというのは開き直りのように映る。

 いざというときには根拠はなくてもかまわないのだというのは、決断主義によるものだ。平穏が乱れているときにはそれを何とかするために決断することが大事なのだとするものである。このあり方には危険がつきまとうことはたしかだ。

 決断主義には危なさがあって、あとに決して浅くはない傷が残ることがないではない。ことわざでいう急がば回れのように、平穏さが乱れているときにはむしろ逆に時間をかけてものごとをじっくりと見て行くような科学のゆとりが求められる。

 ゆとりがなかなか持てないときも中にはあるだろうが、わかったつもりにはならず、一つだけではなくて色々な視点から見て行くことができればまちがいを避けやすい。もしも小さくはない穴がいくつも空いているのであれば、それを見落としていると穴にはまりこんでしまう。穴があるかどうかを確かめておくのは、不確実性についてをくみ入れるようにすることだ。ほんとうに客観として最適な手だてだといえるのかや、不確実性への備え(コンティンジェンシー・プラン)は十分にとれているのかが問われる。

 参照文献 『逆説の法則』西成活裕(にしなりかつひろ) 『いまを生きるための思想キーワード』仲正昌樹(なかまさまさき) 『思考の「型」を身につけよう 人生の最適解を導くヒント』飯田泰之(いいだやすゆき)