週刊誌における、題名や見出しと本文との不つり合い―羊頭狗肉の手だて

 週刊誌では、題名や見出しで韓国にたいして過激なことが言われた。それで人々の目を引きつけた。中身である本文はどうかというと、それほど過激なものではなくて、あんがいおだやかなものだった。

 ごくかんたんに言うと、週刊誌では、題名や見出しは悪だったとしても、本文は非悪だったということになる。本文はそこまで悪ではなかったのだから、そんなに批判されるいわれはない、ということが言われていた。

 その見なし方については、こう見なすことができるだろう。週刊誌の題名や見出しで過激なことを言っていて、本文ではそれとはちがっておだやかなことを言っているのは、羊頭狗肉(ようとうくにく)である。このさい、羊頭と狗肉の二つの部分に分節できる。

 羊頭(題名や見出し)は悪かったが、狗肉(本文)はそれほどでもなかったというのは、たとえそうなのだとしても狗肉をもってして羊頭の悪さが免罪されるわけではないだろう。

 週刊誌は、本文に見合うような題名や見出しをつけることがいるのであって、そこからあまりにもかけ離れているような題名や見出しをつけるのは、メタテクストとテクストのつり合いを欠く。名は体を表すというのがあるから、体を表すのにふさわしいそれそうおうの名というのがあるはずだ。

 メタテクストである題名や見出しは、テクストである本文にたいして、そのように見よという命令の働きをもつ。まったく別々のものどうしというのではないから、テクストに見合うようなメタテクストであることを心がけてもらいたいものだ。そうでないと、送り手の思わくや意図として、テクストで言っていることが本当に送り手の言いたいことなのか、それともメタテクストで言っていることが本当に言いたいことなのかの、判断がつきかねる。

 参照文献 『タイトルの魔力 作品・人名・商品のなまえ学』佐々木健一