とてもではないが、現実主義とはとうてい言えそうにない、首相による、年金はこれから先も大丈夫だ、の発言(無責任な楽観論ではないだろうか)

 年金だけでは老後は暮らせず、二〇〇〇万円を貯めることがいる。金融庁によるこの報告書を、与党はないことにしようとしている。そうしたところが、じっさいにはさらにお金がいるということで、三〇〇〇万円はいるということがいまわかったという。

 年金はたしかな財政の土台があるので、これから先については大丈夫だ、といったことを首相は言っていた。首相がこう言っていることについては、そうだなというふうにうなずくことができづらい。政治家によるカタリ(騙り)そのものだということではないだろうか。

 先の日曜日には、年金返せ、とうったえるデモが行なわれていた。いままでに支払った年金の保険料を返せ、ということだ。また、老後に暮らせるだけの年金を払え、ということも言われていた。

 デモが行なわれたさいに、そこで言われていたことは、その訴えそのものがどうかということよりも、デモが行なわれたことそのものに意味がある。首相が言うように、年金は大丈夫だということだと、年金について批判として見ることをうながすことにはならない。そのまま放っておいても大丈夫だろう、ということになってしまう。

 そのまま放っておいても大丈夫だということで、話題にのぼることがないのではなくて、年金をふくめてその他の社会保障の制度についてを、きちんと話題にのぼらせて、表面化してほしいものだ。それで、制度の抜本の見直しを試みてみるのはどうだろうか。

 年金を含めた社会保障の仕組みは、いまのように、社会の中で非正規ではたらく人が四割以上にものぼる、ということがくみ入れられていないものだとされる。みんなが原則として落ちこぼれることがなく、経済は成長をつづける、ということで仕組みがつくられているという。

 いまは、格差が進んでいるし、貧困がおきている。貧困というのが、けっして他人ごとではなくなっているのだ。貧困が増えて広がっていることが、その人たちだけのことにとどまらず、広く社会の人々に、不安をもたらしている。部分だけではなくて、全体に波及しているのだ。

 原則としてみんなが落ちこぼれないで、経済は成長しつづける、とは行かなくなっている。理論で言えば、年金その他の社会保障をなりたたせるための仮定が崩れているのだ。与党の政治家や高級な役人がかつてにおいて想定していた仮定の少なからぬ部分がもはや崩れているのに、なぜ仕組みをそのまま正しいものとして保たせようとするのかが、個人的には納得できづらい。

 参照文献 『年金は本当にもらえるのか?』鈴木亘(わたる) 『財政危機と社会保障鈴木亘 『ここがおかしい日本の社会保障山田昌弘 『損得で考える二十歳(はたち)からの年金』岡伸一