政権に都合の悪いものを悪玉化して切り離して、善玉化した純粋な修辞(レトリック)を押し通すということが、国内(内政)でも国外でも見うけられる

 日本へのたび重なる反日の言動を韓国はしてきている。このことに韓国の意図があらわれている。韓国は日本とうまく関係をとろうとはしていないと見るべきだ。国どうしの交流を断つことがいる。ツイッターのツイートではそう言われていた。

 たしかに、日本からすれば、韓国はたび重なる反日の言動をしていると見られるのはある。そうではあるものの、もしほんとうに韓国が日本と関わり合いたくないのであれば、日本のことをいっさい無視するのではないだろうか。いっさい触れないということであれば、日本とは関わり合いたくないという意思だととらえられる。現実はそうであるとは言えそうにない。

 韓国がどうかということではなく、日本の国はいま欠点や欠陥を抱えているのは見すごせない。それは日本の国内における、いまの首相による政権のありさまを見ればほぼ明らかだ。

 いまの首相による政権が日本の国内において行なっている数々のでたらめやごまかしを大目に見たり甘く見たりするのなら、自国には甘く(弱い)他国には厳しいということで、韓国については厳しく見ることになるだろう。

 外にある韓国を厳しく見て悪玉化するのではなく、国内におけるいまの首相による政権のありさまを甘く見ないようにして、厳しく権力チェックをするべきではないだろうか。

 いまの首相による政権や、省庁の高級な役人のでたらめやごまかしや嘘を大目に見たり甘く見逃したりして、外にある韓国を厳しく見て悪玉化することは、それそのものがごまかしやすり替えになる。目くらましになる。くん製ニシンのようになっているのだ。

 日本の国内において、いまの首相による政権が、ご飯論法や信号無視話法やすれちがい答弁をしておいて、どうして韓国のこと(や日本の国外のこと)だけはきちんとやれるのだろうか。

 日本の国内ででたらめをやっていて、歴史修正主義がはびこっているのだから、それは日本の国の外のことについてもおよんでいると見るのは、それほどまちがったことだとは言えそうにない。

 韓国がいついかなるさいにも一〇〇パーセント正しいことをするとは言えず、まちがったことをすることは時にはあるだろう。それについては、まちがっているところを部分的に反論や批判をするのはかまわないことだろう。

 韓国のことを丸々ひとくくりにしてすべてをまちがいだとか反日だというレッテルを貼らないようにしたい。韓国が反日でまちがっているというのは、それそのものが日本の国による色めがねで色づけして見ていることなのだから、それそのものが批判の対象だ。韓国は反日でまちがっているという見なし方そのものが批判されなければならない。

 参照文献 『自己変革の心理学 論理療法入門』伊藤順康 『本当にわかる論理学』三浦俊彦