国交を断交して、日韓が互いに(断交による)痛みを受けるほうがよいというのは、それで日本の国が自滅したり崩壊したりするおそれもあるのではないか(財政の深刻な危機もあるし、日本は課題先進国なのがあるので、国としてそこまで存亡にゆとりがあるとは言えそうにない)

 自由民主党の内部では、韓国と国交を断交するべきだという声が出ているという。かいつまんでごくかんたんに言うとすると、日本にたいして韓国がとやかく批判や文句を言ってくるから、韓国と国交を断交するのがよいということかもしれない。

 たしかに、日本にたいして韓国は批判をしてくるのがあって、それがうとましいというのは分からないことではない。感情的にかっとならずに批判を受けとるのはあんがいと難しいところがある。

 韓国が日本にたいして批判をしてくるから、韓国との国交を断交するべきだというのは、民主主義に反することではないだろうか。民主主義においては反対勢力(オポジション)があることが欠かせない。反対勢力がないと民主主義は成り立たないのだから、そういうものとしてとらえるのはどうだろうか。

 かるがるしく、韓国と日本が国交を断交するべきだということを、ほんとうに自民党の内部で(自民党の一部の議員が)言っているのであれば、ほんとうに日本の国のことを思っているのだとは思えない。

 もしほんとうに日本の国のことを、民主主義のことまでくみ入れて十分に思っているのだとすれば、かるがるしく韓国と日本は国交を断交するべきなどとは、とてもではないが国会議員たる者の口からは言えないはずである。大衆迎合主義(ポピュリズム)におちいっているのでないかぎりは言えないことのはずだ。

 批判を受けるというのは、難しいのがあることはたしかだが、そこについては、日本の国というのを大きなものととらえて、民主主義を保つためにも、できるだけせまい見かたにならないようにしてほしいものだ。

 批判を受けつけないようにしてこばむのはたやすいが、耳を閉ざすのではなくて、開くようにして、難しいことに(といってもそこまで難しいことではないが)とり組むようにしたらどうだろう。

 自民党の国会議員が、もしほんとうに日本の国のことを、大きなものとしてとらえようとするのなら、他国(隣国)について興奮したり感情的になったりするのではなく、大人としての抑制や落ちつきをとれるはずである。大人としての抑制や落ちつきを欠くのであれば、目さきの一時(短期)的な利益や価値をとるのにとどまることになる。

 やや悲観になってしまうのはあるが、日本の国の存亡にはそこまでゆとりがあるとは見なしづらい。識者の一人によると、日本の財政の危機は深刻なものとなっていて、何かちょっとした刺激が加われば、財政の破綻がおきかねないという。じっさいに、先の大戦に負けたどさくさにまぎれておこったことは、財政の破綻だが、それはあまり注目されていないことだという。

 日本は課題先進国と言われていて、さまざまな課題が山積しているが、いまの首相による政権にはこれらを一つずつ着実に片づけて行くことは見こみづらい。うわべでは効力感をよそおっているが、じっさいには無力だろう。

 江戸時代の末に、幕府に命じられてアメリカを視察した勝海舟は、アメリカはどうだったかを幕府に問われてこう答えたという。アメリカは日本とはちょうど逆だった。アメリカは(日本とはちがい)上に立つ者がかしこかった。アメリカは、えらい人がえらい。これはいまのアメリカには必ずしも当てはまらないかもしれないが。

 上が無力だということで、あまり悲観しすぎるのはよくないかもしれず、前向きさをもつことは大事ではある。

 せっかくであれば、局所最適におちいらないで、全体最適を目ざすべきではないだろうか。局所最適のわなにはまってしまうと、これはよいとしていたのが、じつは悪いことだったということになる。先の大戦での敗戦はまさにそれに当てはまることの一つだ。その失敗の教訓を十分に生かすようにして、局所最適のわな(まちがった低い山)にはまらないようにして、全体最適(正しい高い山)がどれなのかを時間や労力をかけて慎重にさぐるようにしたい。

 参照文献 『民主制の欠点 仲良く論争しよう』内野正幸 『「野党」論』吉田徹 『思考の「型」を身につけよう 人生の最適解を導くヒント』飯田泰之 『八人との対話』司馬遼太郎