断交するのではなくて、お互いに冷静に議論(対話)するようにするのはどうだろうか(断交してしまうと、双方向ではなく、一方的なあり方になってしまう)

 日本と韓国が断交する。国どうしの関わりを断つ。それをしない政府は頭がおかしい。日韓が断交して当然だというのだ。東京都の新宿で、右派の一部の人たちがデモを行なったさいに、紙に書いた訴えとしてそう言われていた。

 いまの政府は日韓の断交はしていないが、それをしていないから頭がおかしいのではなく、そもそもいまの政府はおかしい。たんにおかしい。そうは言えないだろうか。個人の見かたにすぎないものではあるが。

 日韓の断交をしていないという点では、おかしくはない。その点ではそうだが、そのほかのことを色々とくみ入れると、いまの政府にはおかしいところがある。日本と韓国とのあいだに、無駄な感情の対立をあおってしまっている。政権の不正の疑惑をごまかしつづけている。隠ぺいすることに精を出している。説明責任(アカウンタビリティ)を果たさない。

 日韓の断交をしないというのは当然のことであって、もしそれをするのであれば、いまの政府はかなりおかしい。断交をするのではないとしても、ほかのさまざまなところにおいて、色々とおかしいところがある。そうしたおかしさを過大視するのではなく、よいところもあることから、いまの政府によい評価を下すのはあるかもしれない。見かたによって異なるのはあるだろう。

 日本と韓国が断交するということは、お互いのあいだで文脈をすり合わせて調整することを放り出すことをあらわす。お互いに文脈をすり合わせて調整しないことには、日本が正しいかどうかということは分かりようがない。

 文脈のすり合わせによる調整を経ず、たんに日本が正しいというのでは、教条(ドグマ)化することになる。教条化して、日本が正しいことを自明視するとしても、本当に日本が正しいことにはならず、いぜんとして不明のままだ。日本が韓国と断交したとしても、それによって日本が正しいことにはなりそうにない。