人(弱者)を生かすようにはなっていない社会のありようがかいま見られる

 一〇〇万円の借金をして日本にやって来る。本国で親に教わったように、強い人間になることを目ざす。しかしその志はもう消えた。孤独感を毎日において噛みしめている。周りの環境がとてもひどい。どれだけ自分ががんばっているのかを周りの人が分かってくれない。軽べつを受けている。

 外国人技能実習制度において、日本にやってきたベトナムの人は、日本で労働をする中で、ひどいあつかいを受けた。失敗をすると殴られた。日本語の勉強もしないとならない。ついには自分で命を絶ってしまったという。遺書が残されていた。テレビ番組でこのことがとり上げられた。

 ひどい言い方をすれば、外国人技能実習制度において、日本は人を生かすのではなく殺す社会になってしまっている。人を生かすのではなく、あたかも物のようにあつかうことで、物象化がおきている。そう見なすことができる。

 制度によって外からやって来る人を含めて、社会の中にいる人が、不健康な自己決定をしないですむようにしなければならない。不健康な自己決定のさいたるものが自殺だろう。自殺にいたるまでには、それをうながすさまざまな加速の因子はあっても、減速する因子がなかった。人とのつながりがとれないで、分断されて孤立する。さむざむとした世の中のあり方だ。

 制度によって外から人を日本の社会に受け入れる。そのさいに、厳しいしうちをするのは正しいことだとは言えそうにない。厳しいしうちをすればがんばるだろうというのは誤った精神論だろう。厳しいしうちをすればするほど追いこまれてしまう。学習性無気力におちいる。人を生かすのではなく、その逆にしてしまう。

 新しい環境になじむには、何らかの引っかかり(アンカーポイント)がないとならない。その引っかかりがないと、新しい環境にはなじみづらい。適応に障害がおきる。そうならないためには、人とのつながりなどがいる。温かくされることがいる。制度によって外から人を受け入れるのであれば、引っかかりをもてるように備えておかないと、新しい環境になじめないで苦しむことになる。そういったことを備えないのは迎え入れる方(政権)の怠慢である。

 外から人を迎え入れているのに、その人が軽べつされるというのは、おかしいことである。軽べつするのであれば、そもそも外から人を迎え入れるべきではない。軽べつというのは人を近づけるのではなく遠ざけることだからだ。精神論で厳しいしうちをするのではなく、その逆に温かくすることがいるし、物質としても衣食住や賃金などを充実させるようにしたい。これは外からやって来る人を含めて、すべての社会の中にいる人にそうであってほしいものである。