お金持ちをほめるだけでは、社会の中にある負の問題は片づきそうにない

 お金持ちをほめよう。それでお金持ちをほめたら、世の中はうまく回るのだろうか。うまく行くようになるのだろうか。ほめるというのは働きかけることだが、それよりも、社会の中にあるさまざまな声を受けとめるのが足りていないのではないか。声がすくい取られていない。社会の中にある、嘆(なげ)きの重荷が重くなってしまっている。

 お金持ちは多くの税金をおさめて、社会に貢献している。それは確かだろうけど、これは公平さの点でいうと、お金持ちの人はより多くの税金をおさめることで、社会の中における格差の開きを是正しようとする措置だということができる。

 税金や社会保障費を支払うのにおいて、お金を持っている人よりも、お金を持っていない貧しい人に、より重荷がかかることがある。より多くの税金の額を支払っているというのは量によるものだが、それとは別に、自分が手にするお金の絶対額が少ないと、その中から税金や社会保障費をさし引かれることで、よけいに手にするお金が減る。お金を持っていない貧しい人に、逆進性がはたらく。そのために、苦しいことになる。

 かりにお金持ちをほめたところで、社会の全体における効用は増えることになるのかはいぶかしい。社会の全体における効用を増やすことにつなげるためには、社会の中における不公平さを改めて、公平になるようにするのができればよい。社会の中に不公平さがあることによって、社会の全体における効用が増えることのさまたげになっている。

 お金持ちをほめるよりも、政治の権力者を批判するのをすすめたい。どんなに多くの税金を支払っても、いまの与党による政権のように、政治の権力が賢くないのであれば、国民の税金は無駄に使われてしまう。無駄なことをやられてしまい、時間や労力がむなしく空費される。

 権力をになう政治家だけではなく、一部の役人(高級な役人)も悪いのはあるが、最終的な政治の責任を負っているのは時の権力者なのだから、そこが賢くないのであれば、そのままにしておくわけには行きづらい。いまの与党による時の権力者が、それなりに賢い政治を行なっているというのであれば、個人として言わせてもらえば、それは嘘になると見なしたい。