能力の優劣は、優れているから正しく、劣っているからまちがっていることを必ずしも意味しないものだと見なせる

 能力が高い、または平均の人がいる。かたや、能力が平均にとどかない人がいる。平均に達していないで、劣っている。平均未満である。

 能力が高い、または平均の人が正しくて、平均に満たない人はまちがっているのか。必ずしもそう言うことはできそうにない。

 場合分けをすることができるとすると、能力が高いまたは平均であるとして、正しいこともあるがまちがっていることもある。能力が平均に満たないとしても、まちがっていることもあるが正しいこともある。決めつけることはできそうにない。

 能力が高い人と、平均の人とを合わせると多数にのぼる。その多数にのぼる人のあり方が正しいのだとは必ずしも見なすことはできそうにない。平均に満たない人がたとえ少数であるとしても、その人のあり方がまちがっているとは一概には見なせないものである。

 能力から見て高いまたは平均の人と、平均に満たない人とは、お互いに関係によって成り立つ。片方がいることによって、もう片方がいることになる。絶対としてのものではなく、相対のものにすぎない。あるものさしを当てはめたさいにちがいがおきるのにすぎない。そのものさしとは別のものを当てはめてみれば、またちがったあり方になる。

 高い能力や平均の能力と、平均に満たない能力がある。優と劣とすることができる。この差は絶対のものだとすることはできづらい。劣に当たるものは、優に当たるものを異化するはたらきをもつことがある。異化するはたらきがおきることによって、優または平均のあり方のおかしさが浮きぼりになることが見こめる。おかしさがきわ立てば、優と劣や、普通と特殊が逆に転じることが見こめる。

 いまの政権の財務相は、財務相および政権にたてつかずに従順に従った役人を、きわめて有能な人物だと評した。この役人が客観として有能だということはできないのがある。あくまでも政権や財務省によるものさしを当てはめれば、きわめて有能だとなるのだろうが、肝心の政権や財務相がもつものさしが狂っているのだから、見かたによってはこの役人は無能であるということができないではない。

 有能または平均と、そうでない(劣っている)ものとのちがいは、あんがいいい加減なものであり、反対に転じることがあるのを示す例として、財務相の役人についての評価を見なすことができる。