英語の助動詞でいうと、消費税を上げられる(can)のか、上げるべき(should)なのか、上げなければならない(must)のか、上げるつもり(will)なのか、などがある(その逆である否定形もある)

 消費税を上げることで、経済は停滞をした。しかし、景気は後退しなかった。景気は拡張をつづけている。二〇一四年に行なわれた消費税の増税について、内閣府による議論ではこのような意見が出されたという。先に予定されている消費税の増税の判断材料にするそうだ。

 消費税と景気の関わりについては、二つのことが言えるのではないか。一つ目のものは、景気がよければ(悪くなければ)、消費税を増税できる、というものである。増税してもさして問題はない。そして二つ目は、消費税を増税すると、景気が悪くなる、というものである。

 この二つの式があるとして、それぞれで矛盾してしまっているところがある。どちらかを正しいとすれば、もう一方がまちがいのようになる。どちらかの式によると、もう一方の式によれないことになってしまう。

 景気がよければ(悪くなければ)消費税を上げられる、しかしそうして上げると景気が悪くなる、なので上げるのはよくない、しかし景気がよいから(悪くないから)消費税を上げられる、というふうに循環する。二つの式をつなげてみたものである。これは景気が波動して自然に上下することにもよっている。

 景気がよいとか悪いとかいうのを認めるのが難しいのがある。はたして、景気がよいのか悪いのかの、事実の認定ができづらいのがある。景気がよいのか悪いのかを確定しづらい。ありのままの事実の記述というよりは、説明に近いようになってしまう。

 景気がよいのか悪いのかは、すごく重要であるともいえるけど、一方ではそんなに大したちがいはないとも言える。この大したちがいはないというのは、一定以上の水準を満たしている、ということである。食うや食わずでみんなが食べるものにも困っているという状態からはいちおう脱しているのがある。秩序は保たれている。こうした状態においては、イデオロギー論争のようになってしまうのを避けづらい。イデオロギー論争は白か黒かの二元論の形をとる。

 社会福祉を国家がになうものである、拡大国家においては、財政の赤字が増えつづけていってしまう。経済成長ができたり、無駄づかいをしないようにしたりできなければ、財政を均衡させづらく、赤字となる。このような拡大国家のあり方をとるのが前提にあることで、消費税を上げることの必要さがとられる。その反対に不要さによる意見もあるわけだけど、そうしたのとは別に、新自由主義(ネオ・リベラリズム)や自由至上主義による最小国家のあり方もあるそうだ。国家のやっていることを民営化してゆく。

 社会福祉を国家がになうのを社会民主主義(ソーシャル)であるとできるとすると、その反対であるのが新自由主義(リベラル)のようなあり方だといえよう。ソーシャルだと国家のなすことが肥大化していってしまうのが避けがたいことになる。その肥大化を改めて、すっきりさせたほうがのぞましいという見かたもとれる。のぞましいあり方を一概には決めつけられないけど、対立点としてどちらをとるのかをふまえることで、中途半端におちいってしまうのを避けるのもよいかもしれない。