友だちになるのもよさそうだけど、適切な見切りもまたできたらよさそうだ

 すべての国民からの信任を得ているわけではない。全幅の信任は受けていないのだという。自由民主党石破茂氏は、アメリカのドナルド・トランプ大統領について、このように述べている。あたかも国民からの全幅の信任を得ている人物であるかのような認識をもつことの危険さに多少の注意をうながしている。

 トランプ大統領は、大統領の選挙戦において、大衆民主主義のやり方をとっていた。これは大衆迎合主義(ポピュリズム)であるともいえる。こうしたやり方では、あたかも自分がすべての国民からの全幅の信任を受けているかのようにふるまう。自分が唯一の正しい意思をになう人物であるとする。そして、国民の敵をつくり出す。その敵とは、エリートであったり、大手報道機関であったり、一部の他国であったり、他民族であったり、少数者であったり、反対者であったりする。

 大統領を決める選挙戦において勝ったのだから、それによる形式のお墨付きはある。そうしたのはあるが、一〇〇対〇のような形で決まったものではないのがあるから、完ぺきなものとはいえそうにない。それに加えて、そうした形式の点とは別に、正統性の点も関わってくる。人々が決定されたものを受け入れられるかどうかである。もし受け入れがたいということであると、権力は暴力に転化するおそれがある。

 正統性がかならずしも十全にそなわっていないのについて気をつけられればよさそうだ。とはいえ、じっさいには、完全な正統性だったり、全幅の信頼だったりは、ありえるものとは言いづらい。なので、そうした不備をいうのなら、過去または現在の色んなものについても当てはまることだとも言える。そのうえで、そこで要点となるのは、不備があることに開き直ってしまうことにあるのではない。そうして開き直ってしまうと、一か〇かの二元論になってしまう。二元論ではなく、連続した見かたがのぞましい。それに加えて、謙虚で低姿勢にやってゆくようにして、ごう慢になるのをできるだけ避けることもいるだろう。

 しかるべき方法で決定されて選ばれたのだから、最低限の敬意をもつことがいりそうだ。しかしそれは、全幅の信頼と敬意をもつことと同じであるとは言えそうにない。話はちょっと変わってしまうけど、投資の世界では、自分の持ち金をすべて一つの対象に投入するのはかなり危険であると言われている。危険さを分散させてヘッジさせるのが無難である。そうすると、遊具のシーソーでいうと、乗り物の重さのつり合いがとれるのである。そうしてつり合いをとるのではなく、持ち金のすべてを一か八かで賭けてしまうと、いざだめになったときに受けることになる損傷が大きい。距離感のとり方をまちがえないようにできたらよさそうだ。親密になろうとしすぎると、対象化できなくなってしまう。