2つの相

 原子力発電には、2つの相があるのではないか。ひとつは秩序の相である。秩序を築くためには、想定されるうえでもっとも破局的な被害をもたらすであろう、原発事故のおそれをとり除くことがいる。原発事故がおこらない前提に立つ。そうして深刻な事故の可能性を排除し忘却するわけである。

 なにごとも絶対と言い切れるものではないところもある。たとえ原発がきわめて安全に運用され保守されるにしても、原始的な仕組みで動いているわけではないのだから、完ぺきに統制できるとはいいがたい。そのうえ、誰か他者に任せているわけであり、100パーセント信用がおけるとはいえないだろう。手抜きをされるおそれがなくはない。

 原発は、経済成長には欠かせないとして、何としてでも動かさないとならないとする意見もある。その点については必ずしも一義的に決まるものでもなさそうである。というのも、原発ははたして本当に経済的なのかとも疑える。むしろ(おそろしく)不経済な産物であるおそれもなくはない。混沌の相を組み入れてみてふまえてみれば、割に合わないものともなる。

 原発の費用の安さは、秩序の相によっている。逆に、原発の費用の高さは、混沌の相によっていそうだ。その 2つの矛盾したありように現実があるのかもしれない。