アマゾン社の広告に政治学者が起用されたことが批判を受けている

 アマゾン社の広告に、いまの政府や与党とつながりのある政治学者が起用された。この政治学者はたびたびテレビ番組に出ていて、平和のために日本に徴兵制をしくべきだといったような個性的なことを言っている。ちなみに、平和と徴兵制とは切り離して別個で見たほうがよいことだろう。

 広告への政治学者の起用についてウェブで批判の声がおきた。アマゾン社のサービスであるアマゾンプライムを解約しようということが言われて、その声が投げかけられた。

 この動きについては、人それぞれで色々な意見があってよいのだから、たとえ自分とはちがう意見をもっている人(政治学者のこと)であっても、広告に起用されるのはよいではないかということも言われている。政治学者を広告に起用するのはかまわないとの声が言われている。自分とは意見がちがうことをもってして、アマゾン社のサービスの解約を呼びかけるのはいけないと言う。

 中立ではない意見を言っていて、政府や与党とのつながりのある政治学者を、広告に起用することはよいことなのだろうか。その広告について批判や抗議の声を投げかけて、広告を流す会社に損になるような行動をしたりそれを呼びかけたりすることはいけないことなのだろうか。

 広告への政治学者の起用については、受け手の力(バイイング・パワー)と社会関係(パブリック・リレーションズ)の点から見て行けるかもしれない。

 力関係で言うと、経済における富の力を持っているのは大企業だ。だから大企業が優でそれ以外のふつうの人びとは劣になりがちだ。大企業がおかしいことをしてもそれを改めづらい。そのいっぽうで受け手や買い手のもつ力の大きさがあり、それが発揮されることがある。

 アマゾン社がどこからどう見ても絶対の悪だとは言い切れないが、アマゾン社にかぎらず一般として大企業が悪いことをすることはめずらしいことではない。資本主義の中においては企業は何らかの手抜きや搾取をしないとそれなり以上の益をあげづらい。力にまかせて大企業が悪いことをすることはめずらしいことではなく、企業である財と政治である政が結びついて財と政(と官)でまちがったことを行なうことがあり、それが正されることはあまりない。

 企業が自分たちで努力して益を生み出すのは経済学では内部経済(internal economies)と言われるという。市場の中で努力をなすのとは別に、市場の外に企業が害をもたらすのが外部不経済(external diseconomies)だという。企業が外部不経済を引きおこすことはけっしてまれなこととは言えそうにない。これまでに多くの公害や自然の破壊などが引きおこされてきた。

 ことわざでいう、江戸の敵を長崎で討つではないが、アマゾン社の広告への批判や抗議の声は、この個別のことだけではなく、広く大企業や政治や、その二つが結びつくことでなされる不正が野放しになっていて、そのことのおかしさも間接に関わっているかもしれない。

 社会関係では、受け手である一般のお客さんからあがっている声を会社は無視することはできづらい。何らかの声があがっているのであれば、それに速やかに対応することが益になることがある。

 会社にとってよくないことがおきたときに、最初期重点対処の法則をとるようにする手がある。火事でいうとまだ小さい火のぼやのうちには手を打ちやすい。それがしだいに大きくなって本格的な火事になると手を打ちづらい。

 会社は悪くはなく、一般のお客さんが悪いのだとしてしまうと、会社が開き直っていると受けとられかねない。それを防ぐには会社のほうに何らかの多少の非があったのだとして、よくないことがおきたことの原因の帰属(特定)を会社に置いたほうが社会関係としてはおさめをきかせやすい。

 参照文献 『コミュニケーションを学ぶ』高田明典(あきのり) 『入門 パブリック・リレーションズ』井之上喬(たかし) 『現代思想キイ・ワード辞典』鷲田小彌太(わしだこやた)編