自虐か愛国かの内容のちがいはどうであれ、国がからむのだから、教科書には表のことしかのっていないのであって、国や役人にとって都合の悪いような裏のことを見ることがのぞましい

 自虐思想や、自虐史観をとるのはよくない。学校でそれらを教えるのは子どもたちに愛国の心を持ってもらうことをはばむ。自虐ではなく日本をよしとすることを教えないとならない。日本をよしとするような内容の教科書を使うことがいる。

 教科書の内容が自虐によるのかよらないのかというのは実質によるものだ。それとはちがい、形式においては、教科書というのはどうあっても表のものなのではないだろうか。教科書には表がのっているのであって、裏がのっているのではない。裏は、教科書ではないところにあるので、別に見て行かなければならない。

 自虐であろうがなかろうが、形式としては、教科書はどうあっても表のことしかのってはいない。教科書に国がからんでいる以上は、国にとって都合の悪いことである裏のことはそこまでのってはいないのである。たとえ自虐ではなく愛国の内容の教科書が使われるのだとしても、それは表のことであって、裏のことではない。表だけではなく裏も見ることがいる。表は偽りであって、裏に本当のことがあるかもしれないからだ。偽りとは言えないまでも、不十分だったり補足が必要だったりすることがある。

 国定ということで、学校で使われる教科書に国がからんでくるのであれば、国にとって都合が悪いような裏のことがしっかりとのっているとは言えそうにない。学校というのは国家のイデオロギー装置だと言われる。国家のイデオロギーを植えつけるものであって、それはいまの報道機関の少なからずが、国の政治家や役人への批判をあまりしていないことに通じている。表によるようになっていて、裏を見ようとしていないのだ。

 報道機関の多くは、国の政治家や役人が言ったことをそのまま垂れ流すような、大本営発表のようなことをしている。雨だれ式の報道のしかたであって、表しか報じていなく、裏を見ようとしていない。大手のものを含めて報道機関というのは国家のイデオロギー装置の一つだから、あまり期待をしてもしかたがないのはあるが、表だけではなく裏も見るようにしたほうが、日本のためになるのではないだろうか。

 参照文献 『小学校社会科の教科書で、政治の基礎知識をいっきに身につける』佐藤優 井戸まさえ