美点のすすめ方

 テレビ番組で、宣伝や告知をやらない。ふつうだったら、できるだけ多くの人に番組を見てもらうために、宣伝や告知をやって周知をはかる。しかしそうではなくて、逆のやりかたもあるという。宣伝や告知をやってしまうと、視聴者が、自分から番組を見つけにゆく楽しみを奪ってしまう。その楽しみをとっておいてあげる気配りもある。

 上のような説をいぜん聞いたことがあったのを思い出した。番組の宣伝や告知が、かえって裏目に出てしまうこともある。こうした例は、ほかのことにも言えるのではないかという気がする。何かよさとか売りを持っていたとして、それを全面に押し出されてしまうと、かえってこちらは引いてしまう。よさや売りを強調するのは、理にはかなっているし、悪いことでもない。ただ、正直いってしまうと、若干鼻につくのである。少し安っぽくも受けとれないでもない。

 よさや売りがあったとしても、さもそうしたものを持っていないかのごとく振る舞っている。そうした振る舞いをしていると、こちらからそのよさや売りを見つけにゆく楽しみがあると思う。明らさまに強調されていないぶんだけ、逆説的によさや売りがかえって引き立つ。経済でいうと、物価高(インフレ)みたいな感じで、ひそかに株が上がるようになる。あくまで主観的な話ではあるが、そうしたところがある気がする。

 よさとか売りがたとえ一つだけでもあるのであれば、それだけでも大したものである。そうしたのが一つも見あたらない分際で言うのも何だけど、他人への見せかたというのはなかなか難しいものだ。美点ではなくても、たとえばあばたもえくぼということわざもある。これは、たとえ欠点でも、それが長所に映る人もなかにはいるということだ。チャームになる。

 たしか相田みつをの詩で、こんなのがあった。価値があって大事なものは、目に見えないところにある。地面の下の水道管だとか、木の根っこなどである。この詩で言われていることをふまえると、価値があって大事なものはしばしば目に見えづらいところに隠れている、と言えそうだ。何ごとにおいてもそれが当てはまるとは必ずしも言えないかもしれないが。

 一番のよさや売りを、中心に持ってくるのではなく、あえてさり気なくついでみたいなようにするのも、戦略としてはありかも。そうすることで、少なくとも、通な人は気づいてくれるのではないか。ちょっと的はずれかもしれないが、頭隠して尻隠さずといったように、どうせ美点は(確実ではないにせよ)人目に触れるものでもあるし。