教育無償化の理想

 憲法の 26条では、義務教育の無償化を定めているそうだ。これを素直に受けとれば、義務教育以外の無償化を禁じているわけではないのは明らかなのではないか。法律には素人ではあるが、そのように感じられる。義務教育以外については、とくに言及してはいないのだから、無償にしてもよいし、有償でもよい、と解することができる。

 したがって、義務教育以外の教育についてを無償化するためには、憲法を改正しないとならない、とはできないだろう。もしそう解するのだとしたら無理やりである。幼児教育から大学教育までを広く無償にすることで憲法違反になるというのは、たんなる心理的なおどしなのではあるまいか。

 もし誠実に言うとするのなら、このように言えばよさそうだ。幼児および高等教育をふくめた教育の無償化には、とくに憲法を改正する必要はない。しかし、憲法を改正して定めてしまったほうが、より確実性がある。なので、改正するべきなのである。このように言ってくれれば個人的には少し受け入れられるかな。ただ、賛成するかどうかはちょっと分からないけど。

 かりに憲法を改正して、幼児教育や高等教育を無償化にしたとしても、水準の問題がある。今と同じか、またはさらに質が高まるとはなりづらそうだ。今のままのあり方を無理やり維持しようとすれば、むしろ質が劣化するのではないかという気がする。財源の制約があるので。

 あらゆる教育の無償化をうたうのは、理想としてはよさそうである。ただこれは、若ものに限られるということなのだろうか。若もの以外でも、学校に行って学び直したい人もけっこういそうである。なので、年齢などで線引きされて、門戸が狭められてしまうのだとすると残念だ。

 お金について言えば、なにも無償化にしなくても、料金を今よりも下げればよいような気がする。現に料金が高すぎるところがある。その引き下げができないのに、いきなり無償化にすることなどできるのだろうか。そこがちょっと疑問である。たとえ少額でもお金をとるのと、まったくの無償なのとでは、ちがいがあることは否めない。

 まず、教育の無償化がほんとうにしたいのか、それとも憲法の改正がしたいだけなのかを、区分けすべきだという気がする。憲法の改正をからめてしまうから、話がややこしくなってしまう。もし、憲法の改正をしたいがために、その手段として教育の無償化をいうのであれば、本末転倒であり、必要のねつ造だ。動機が純粋でない。なので、教育の無償化というのが、現実からやや飛躍した話に映ってしまう。

 何がなんでも改憲を否定する派は、硬直さという点ではたしかによくないかもしれない。しかしそれを言うなら、何がなんでも改憲をしたい派もまたいるのだから、そこについての指摘もあったほうがよさそうだ。かた一方だけを批判するのだと公平とは言えそうにない。