スーパーマーケットで買いものをするのにかかる時間と性別のちがい

 スーパーマーケットで買いものをするさいに女性は長く時間がかかる。男性であればいるものを短時間で選んで買う。大阪市長はそうしたことを言っていたという。

 女性ならこうで、男性ならこうだというのは、自然主義の誤びゅうになっていて、何々であるの事実(is)から何々であるべきの価値(ought)を導いている。

 ひと口に女性や男性といっても、それぞれの集合の中には色々な人をふくむ。性格として優柔不断な人もいるだろうし、そうではない人もいる。

 女性であったとしても、あるときにはスーパーマーケットでの買いものに時間がかかるが、別なときには時間がかからないというふうに、その時々によってかかる時間は必ずしも一定しているとは言いづらい。男性であってもそれは同じことで、買いものに時間がかかるときもあればそうではないときもある。

 何をどれだけ買うのかによって、時間がかかったりかからなかったりする。時間や手持ちのお金にゆとりがあるかないかによってもちがってくる。買いものと一と口にいっても、どういうときのどういう買いものかがあるから、細分化することができる。

 スーパーマーケットでの買いものに時間がかからないのであれば女性ではない、と言い切ることはできそうにない。また、スーパーマーケットでの買いものに時間がかかるのなら男性ではない、とも言えそうにない。買いものに時間がかかるかどうかと性別とはまちがいなく結びついているものだとは言えそうにない。これらは、大阪市長の言っていることを逆からひっくり返して見てみたものである。言明を逆から見たものは対偶に当たり、もとの言明と同じ(同値または等値)になるとされる。もとの言明が真なら対偶も真になり、もとが偽であれば偽になる。

 参照文献 『本当にわかる論理学』三浦俊彦