税の痛みの正と負―痛税感の順機能(プラス)と逆機能(マイナス)

 消費税が一〇パーセントに上げられる。買い物をするさいに支払うお金の額が増える。ふところには痛い。

 税を支払うことによる痛みがある。その痛みは国民が引き受けることになるものだ。この税による痛みには正と負の二つの面がある。

 日本にはかつてのようにゆとりがあるとは言えそうにない。かつての日本では与党だった自由民主党によるばらまき財政が行なわれた。それで利益が配分された。おもに土建屋(建設業)がもうけた。それでいまの日本は財政の苦境におちいっている。あとには国の財政の大きな赤字と、破壊された自然環境が残った。

 国民が引き受けることになる税の痛みには、負の面だけではなくて、正の面があるというのがある。その正の面を見るようにするのはどうだろうか。正の面というのは、いわば痛みなくして利益なし(ノーペイン、ノーゲイン)ということだ。

 よくないのは、おもて向きでは税の痛みがないかのようでいて、じっさいにはしっかりと国から税を徴収されてしまっている、ということではないだろうか。そうであるよりかは、税の痛みを国民がきちんと感じられるようにして、それによって政治における時の政権のやることを監視する意欲が高まると方向性としてはよい。

 国民が税の痛みを引き受けられるようにして、国民が納税や政治の主体となれるようにする。国民に利益を大ばんぶるまいできるようなゆとりが国にあるのならよいが、いまはそうではなくて、いかに不利益を分配するのかが問われているのだと言えるだろう。そうであるのにも関わらず、国民からの不評を買うのをおそれるあまり、政治家は不利益の分配を争点化しようとはしていないように見うけられる。耳に快く響く甘いカタリ(騙り)をばらまいているのは、大衆迎合主義だと受けとれる。

 参照文献 『官僚は失敗に気づかない』平野拓也