平成天皇や令和天皇ではなく、平成の天皇とか令和の天皇、というのも駄目なのだろうか(へ理屈ではあるかもしれないが)

 平成天皇や令和天皇と呼ぶのは遠慮してほしい。神社に関係するツイッターのツイートでそう言われていた。

 天皇が亡くなったときになって、平成天皇や令和天皇と言うのがふさわしいのだという。また、あまりみだりに天皇や貴人などの名前を、下々の者が言うのは、日本の文化にはなじまないとのことだ。

 このツイートでは、日本の国民のことを、臣下というふうに言っていた。それについて、いつから日本の国民は臣民になったのか(戻ったのか)という声が投げかけられていた。

 もとのツイートを見たときには気がつかなかったのだが、言われてみると、日本の国民のことを臣下と言うのはおかしいことだ。民主主義においては、すべての国民が自由で平等であるはずだから、上と下の関係となると、不自由や不平等をまねきかねない。

 神社に関係するツイッターのツイートでは、平成天皇や令和天皇と呼ぶのは遠慮してほしいとのことだが、このさいの遠慮というのは、できればやめてほしいということなのか、それともやめろという命令なのかが分かりづらい。

 平成天皇や令和天皇と呼んだり、天皇や貴人の名前をみだりに呼んだりしてはいけないのは、(臣民や臣下ではない)日本の主権者である国民が守らないとならない具体の義務と言えるものなのだろうか。もし具体の義務と言えるのであれば、どういった法的な(または憲法の)根拠をもとにしたものなのだろうか。

 戦前や戦時中の日本では、天皇制が政治利用されることによって、まちがった方向につっ走っていった。国が破滅する方向に向かっていった。そのかつての大きなまちがいを改めて見るようにして、天皇制を現人神(あらひとがみ)といったように神聖化や権威化や教条化しないようにすることが大事なのだと見なしたい。

 参照文献 『近代天皇論 「神聖」か、「象徴」か』片山杜秀 島薗進