首相にたいして礼を失しているというよりも、(首相や政権が嘘をついている疑いがあるという)公共の利害に関わる思想や表現の自由を野党の議員は行使していると見られる

 野党の議員は、首相である私が嘘をついたと言いたいのだろう。首相である私が嘘をついたというのなら、それはとても無礼な話だ。首相は国会でのやり取りにおいてそう言っていた。首相によるこの応じ方にはうなずくことができづらい。礼があるかそれを欠いているか(無礼であるか)ということに話を持って行くのはいただけない。

 礼があるかないかというのは、事実かどうかという話の本筋とは関わらないものだ。事実かどうかという話の本筋を重んじるべきであって、そこまでとるに足りないものである礼というのを持ち出すのは感心できることではない。

 首相にたいして野党の議員が礼を持っているか、それとも欠いているかというのは、人格に関わることがらである。議論に人格をからませてしまうのは、その二つを混同することになりかねない。議論と人格とは分けておくことがいる。首相が事実を述べていず、嘘をついていると見なすとしても、それは一つの判断や仮説であって、首相の個人の人格がどうかというのとはまた別のことだ。礼によることだとは見なしづらい。

 首相は野党の議員にたいして、無礼を働いていると言うが、首相に無礼になるようなことであっても、たんなる中身のない悪口というのではない限り、野党の議員は言ってよいものだ。首相や政権に疑わしいところがある点について、そこを追求することが禁忌となるのは適したこととは言えそうにない。

 野党の議員は首相にたいして礼を失しているというよりも、たんに首相が嘘をつかないで事実を言っていればよいだけの話だし、強者である首相や政権が嘘をついているとしたら国民にとって大きな害になるのだから無視することはできづらい。首相は自分の名誉を守りたいがためのへんな被害妄想をもたないようにすることがいる。強者であるのだからむしろ加害をしていることを省みることがいる。

 参照文献 『ロジカル・シンキング入門』茂木秀昭 『うその倫理学』亀山純生