新しく出た愛国の色あいが大きいとされる歴史の本における、形式(手つづき)と実質(内容)

 歴史についての新刊の本が出版された。この本の内容は愛国による色あいの濃いものだとされている。

 この本の内容について、形式と実質に分けて見られるのがある。この本の内容は正しい歴史をあらわしているのだとするのは、実質についての視点だ。

 実質とは別に、形式についてを見られる。十分な参考文献のリストがつけられていたり、他からの批判を受けるのにたいして開かれていたり、どうしてそう言えるのかの根拠が示されたりしていれば、形式としてふさわしいものになるのにつながる。もっとも、まだこれらだけでは不十分ではあるだろう。

 本をつくった送り手の個人の神秘による霊感で、内容が正しいのだと最終的にするのであれば、客観に確かめようがないので、説得性は高くはない。

 内容について批判をするのを敵とするのや、内容をよしとするのを味方とするのは、気持ちはわからなくはないものの、敵と友に振り分ける二元論になるのでいただけない。あまりにも単純に敵と友に振り分けるのは、批判にたいして開かれているとは言えそうにない。

 まったく絶対的に正しいというのではなく、本において歴史をあらわした内容は、一つの仮説にとどまっているものだろう。人間のやることだから、まったく非のうちどころがないほどに正しいというのは考えづらい。

 歴史をあらわすさいには、まったくの中立というわけには行かず、偏向するのはまぬがれない。色めがねをかけることになる。歴史の内容をあらわす送り手の予断(先入見)があらかじめあるだろうし、何らかの特定の価値づけをすることになる。そこをさし引くようにして、内容が何から何までぜんぶ正しいとはしないようにしたほうが教条(ドグマ)におちいる危険性は少ない。