印象操作を負(マイナス)と正(プラス)のものに分けて見ると、負よりも正のほうがより害が大きい(政治の権力や国においては)

 印象操作をするな。それをするのはけしからん。テレビ番組に出演したさいに、首相は、質問を投げかける者にそう言っていた。何か首相がさも悪いことをしたかのように誘いこむような質問を投げかけるのを首相はよしとはしない。首相によるこの態度は、器の大きい人物のものとは言えない。

 印象操作をするな、と首相はテレビに出演したさいに言っていた。これを改めて見ることができるとすれば、かりに印象操作をするなということなのであれば、負ではなく正においてそれは当てはまるととらえられる。

 負ではなく正の印象操作をするな、と言えるのではないか。正の印象操作をするなというのは、ほめるなということだ。よいしょしたり持ち上げたりするなというのをあらわす。

 負ではなく正の印象操作こそが、むしろしないほうがのぞましいものだろう。正の印象操作の害の大きさに比べれば、負の印象操作はさして悪いものではない。ことわざでは、火のないところに煙は立たないと言われるのがあるのをくみ入れると、政治の権力者にたいしては、批判として見るのは基本として有益である。

 負よりも正の印象操作のほうがなぜ害が大きいかというと、ほめたり持ち上げたりすると、外発の動機づけがとられてしまうからだ。外発の動機づけは報酬を与えるのなどによるものだ。これは政治において国民のみんなのためになるような目標を達することのさまたげになる。時の権力者を腐らせる(スポイルさせる)ことをうながす。

 国民のみんなのためになるような目標を達するためには、外発ではなくて内発の動機づけがとられるのがのぞましい。そのためには、時の権力者や国をほめたり持ち上げたりしないのがふさわしい。正の印象操作をしないようにする。かりにするにしても、一本調子にするのではなく、抑揚をつけるようにして、悪いところを見るのがあればつり合いがとれる。