自己の否定と他者(他集団)の否定

 死んだら負けだ。自殺をしてはいけない。このさいの自殺というのは、自分で自分を否定することである。

 死なないようにして、負けないようにする。自殺をしないようにする。それはよいことである。自分で自分を否定しないようにする。自己保存だ。そうすることで、こんどは別な問題がおきてくる。自分のほかのものを否定することにつながるのがある。

 自分に否定が向かうのではなく、他者にそれが向かう。そこに危なさがおきてくる。他者に否定が向かうことによって、それを向けられた他者が追いこまれることになって自分を否定してしまうようになる。

 否定による破壊の衝動が他者に向かうのは危ない。破壊の衝動が他者に向かうのがまん延しているのがいまの世の中ではないか。それによって憎悪表現(ヘイトスピーチ)や差別がおきてしまっている。

 自分の立ち場から離れて、試しに立ち場を入れ替えてみる、という自由主義のありようがいまの政治ではとられていない。いまさえよければというので、自分の立ち場を固定して、流動させず、利己で自己中心なのがいまの与党にはある。他者(野党)や一部の他民族の否定がとられていて、いまの与党は自分たちの自己愛によっている。

 肯定ではなく否定によって、破壊の衝動が他者に向かう。そうなることでひどく生きづらい世の中になる。憎悪と軽べつがさまざまなものに向けられるようになる。社会が荒廃して退廃してしまう。

 荒廃や退廃の悪いありさまを改めて行くためには、憎悪表現や差別や偏見をしないようにできればよい。それが行なわれていることに異議を言うのがあるとよい。それと、よき歓待(ホスピタリティ)を、同質ではなく異質な者にたいして行なう。現実には易しいことではないが、子どもや大人が否定されないようにするために、社会の中で行なわれるのがのぞましい。