出版不況でものが売れなくて出版社は大変だろうとは思うが、良心を捨ててまでしてお金を得ようとするのはまちがっているだろう(いち出版社に限ったことではないが)

 性の少数者にたいして、生産性がないと言う。自由民主党の議員は雑誌の記事の中でそう言い、さまざまな批判がおきた。この発言を載せた同じ雑誌で、そんなにおかしいことなのかということで、企画が組まれた。

 この雑誌では、自民党の議員の発言に関することのほかに、朝日新聞を叩いたり野党を叩いたりしている。それによって結果として時の権力に利するようなことをしている。

 雑誌が売れることで、それを発行している出版社の稼ぎになる。売れるか売れないかということでいうと、本や雑誌が売れないけど(中身が)よいものと、売れなくてよくないものがある。売れてなおかつよいものと、売れるけど悪いものがある。それらに場合分けをすることが成り立つ。

 本や雑誌を発行する出版社として気をつけなくてはならないのは、売れるけど悪いものだろう。自民党の議員による生産性がないとの発言を載せて、それを擁護した雑誌は、売れるけど悪いものに当てはまる。

 売れるけど悪いものに当てはまるのは、雑誌を発行する出版社の社長がそれを認めているのからもうかがえる。社長は声明を出した。その中で、雑誌の企画の記事は、あまりに常識から逸脱した偏見と認識の不足に満ちた表現があったと言い、非があったとしている。

 社長が言うように、雑誌が企画した記事の中に偏見があったのはなぜなのか。それは記事の送り手と雑誌を運営する責任者(編集者など)の中に独断があったからだろう。独断があることによって偏見が生み出される。認識の不足がないようにして、認知の歪みを相対化できればよかった。はじめに認知の歪みがあると、それが出発点になり、言うことの中で歪みが大きくなって行く。

 社長が非があったと認めている雑誌は、場合分けをすることができる中で、売れるけど悪いものに当てはまる。売れるというのは稼ぎが高いことであり、悪いというのは危険性が高いのをあらわす。稼ぎが多く見こめるというのは、中身が悪いことによる危険性もそれに相関して高くなることがおきてくる。

 ものが売れて出版社の稼ぎが多くなりさえすればよいというものではない。出版不況の中で、ものが売れないのはあるだろうけど、その問題を何とかするために、中身の悪いものでもお金になるからそれで稼ごうとするのではないようであってほしい。それをしてしまうのであれば、不正義をおかすことになるだろう。中身が悪いものが出回ることで、それを受け入れる人も出てくるし(受け入れるのは人の自由ではあるが)、全体の質が下がってしまう。悪循環になるのがある。