取材された経験がないから的はずれになっているかもしれないけど、手段や形式(見た目)ではなくて、目的や実質を主としてとることはできないものなのだろうかというのがある(脱線しないようにする)

 記者が、取材する対象である政治家などに、取材をする。これを、目的論として見ることができるとすると、その目的に、政治家などから仕事である政治のことがらを聞き出したり尋ねたりするのがある。これは硬派である。もう一つには、政治家などからスキャンダル(醜聞)を引き出すのがあり、これを軟派であるとできる。

 記者は、硬派と軟派の二つの目的をもてるかもしれない。このうちで、記者が硬派の目的を持っているのだとすると、それを軟派の目的を持っているのにちがいないと見なすのは、とらえちがいになってしまうのではないか。

 建て前としては、たいていの記者はおそらく硬派の目的を持っているものだろうと言えるだろうから、その目的を優先させるというのはできないものだろうか。取材を受ける政治家などは、その目的を優先するようにする。手段に引っかかってしまわないようにする。手段に引っかかってしまうというのは、手段に気をとられてしまうということである。そうならないようにできるかぎりの工夫することはできないものだろうか。その工夫はできるのではないかというのがある。素人の意見ではあるが。