客室に置くのにふさわしい本

 ホテルの客室に置かれた本が、物議をかもしている。アパホテルでは、南京大虐殺はなかったとする内容の本を客室に置いているために、それを知った中国の人から批判を受けているようだ。聖書なんかといっしょにして置かれているらしい。たしかに、ふつうのホテルなんかではあまりそういった主張の色濃く出た本は置かないものだろう。

 アパホテルの経営者である元谷外志雄氏は保守的な思想をもった人のようで、問題となっている本も、自身が書いたもののようだ。今年の 2月に北海道の札幌市でスポーツのアジア大会が開かれるさいに、当のアパホテルが使われるそうなのだ。よりにもよって、という気もするが、なぜ選ばれたのかは色々あるのだろう(たまたまなのかな)。期間中は、できるだけアジア各国からやってくる人に配慮した対応を求められている。

 本の内容が、一方的なものになっていて、偏っているのであれば、あまり客室に置くのにふさわしいとはいえそうにない。客は、人それぞれ、様々な思想をもっている。百歩ゆずって、南京大虐殺についての本をどうしても置きたいのだとしても、少なくとも両論併記された内容の本を置くべきだという気がする。あるいは、一冊は右寄りの内容で、もう一冊は左寄り、といったふうにするなどもできるはずだ。

 国内だけであればまだよいけども、ホテルというのは外国の人も泊まるのだから、そこは相手の立場に立つこともいるのではないか。もし逆の立場で、自分が客として来たさいに、自分の嫌いな思想の本が、これみよがしに客室に置いてあったらどうだろうか。当てつけに感じられはしないかな。

 おもてなしの精神を 2020年の東京五輪では重んじるのではなかったのだろうか。もしそうだとすれば、特定の思想を外から来た人に押しつけてしまうのは、おもてなしからは隔たってしまう。経営者の人が、どのような思想や信条をもつのも自由ではある。それとは別に、お客さんの心理的な効用を無視しないほうがよいのかなという気がする。そうした効用を二の次にしてでも、正しいことを言いたいのだろうか。そうした宣伝や経営の手法は、差し出がましいようだけど、あまりよい手だとは思えない。

 正しい内容が記されているのだから、なんでそれがいけないことなのだ、というのが経営者の人の気持ちなのかな。その気持ちもわからなくはないが、そもそも意地を張る場所がまちがっていると感じる。もし意地を張っていればの話ではあるけど。なにも本を置くためにホテルを開いているわけではないだろう。

 なぜ両論併記だとか、わざわざ右寄りと左寄りの 2冊を置くのがよいのかというと、絶対化されないほうがよいからである。これも、どうしても置くのなら、という話ではある。一般論ではあるが、ひとつの本には悪徳や毒が含まれている。その含まれている量は、それぞれで異なっている。受け手は、内容を解読するのとは別に、無毒化(解毒)する作業がいる。そうして毒を和らげて相対化ができれば、定点を持てるわけだ。

 史料などにより、実証的な正しさをはっきりさせるのもよい。しかし歴史はたぶんそれだけで決まるものではないだろう。口からの伝承による、小文字(小声)の語りが真実の一面を示すこともありえる。そうした断片をむやみに切り捨ててしまうのはいささか乱暴だ。大文字の公による史実にしても、あまり教条化されすぎないほうがよいのではないだろうか。それもひとつの物語であり、完全であるとは言い切れない。

 南京大虐殺についてはあまり詳しいことはわからないから、もしかしたら的はずれなことを言ってしまっているかもしれない。そうした面はあるが、大虐殺があったとか、または無かったとかという、中心の言明(命題)がどちらなのかはわりと大きな問題だ。そういう大きな問題になると、可能世界(虚構)みたいな見かたも成り立ってしまうのではないか。そこには細部が欠けてしまっているのである。なので、大文字だけではなく、(あちこちに散らばっている)小文字の語りなんかもふまえたほうが、より現実に近づくという気がする。そういった小さな痕跡の破片を、じっくりと時間をかけて拾っていくのがよいのではないか。