ひんしゅくを買ってしまうかもしれないが、消費税を上げるのも一つの選択ではないだろうか(あわせてほかにやらないといけないことは色々とあるだろうが)

 消費税を上げたら、いまの政権は崩壊する。経済の景気は悪くなる。国力が下がる。テレビ番組の出演者はそう言っていた。

 消費税を上げれば、それによって得する人たちがいるのだという。法人税は上げなくてすむ(または下げられる)ので、経済界の人たちは得するということのようだ。

 消費税を上げることを、頭ごなしに悪く性格(定義)づけするのはどうなのだろうか。消費税を上げるという案は、欠点はあるだろうが利点もまたある。どのような案であったとしても、そこには欠点もあれば利点もある、という意味においてのものだ。

 たとえ消費税を上げないのだとしても(または下げるのだとしても)、ほかの税や社会保険料の負担の重みがある。これから半世紀以上の長い期間にわたって少子高齢化が進んで行くので、現役の世代に負担の重みがどんどん高まって行く。

 現役の世代が三人で高齢者一人を支えていたのが、二人で一人、一人で一人、といったように、比率が変わって現役の世代がきつくなって行く。低所得者により負担の重みがかかるという逆進性もはたらく。

 課題の定め方としては、いかに税や社会保険料のあり方を、効率が高くかつ公平にして行けるかがある。これから長きにわたって少子高齢化が進んで行くために、国民の(税や社会保険料などの)負担はそれなりにかかる。国の財源が苦しいので、国民の受益を大きく高めることはできづらい。

 負担がそれなりにかかって大きな受益をのぞめない中でできることは、非効率さが温存されているのを改めて、できるだけ効率がよくなるようにして、公平になるようにすることではないだろうか。その中で、消費税を上げるのは、一つの選択肢となるものだ。短期の視点による大衆迎合主義(ポピュリズム)におちいるのを避けつつ、できるだけ賢い選択肢を選ぶことがのぞましい。

 とくに財務省のまわし者なわけではないことをことわっておきたい(信用されるかどうかはわからないが)。財務省がやろうとしていることが悪いとか、消費税を上げることが悪いというのは、そういう性格(定義)づけがまちがいなくなりたつとは言い切れそうにない。

 垂直に見れば、財務省がやろうとしていることや、消費税を上げることは、まちがいなく悪いことだと言えるかもしれない。それとはちがい、水平に見れば、財務省がやろうとしていることや、消費税を上げることは、条件によっては一つの言いぶんとしてはなりたつのではないだろうか。

 参照文献 『議論入門 負けないための五つの技術』香西秀信 『財政危機と社会保障鈴木亘(わたる) 『政治の哲学 自由と幸福のための一一講』橋爪大三郎