憲法は国の理想を語るものだ、と首相が言うさいの、理想郷(ユートピア)との関わり

 憲法とは、国の理想を語るものだ。首相はそう言っていた。このさいの、国の理想とはいったいどういったものなのだろうか。理想とひと口に言っても、よいものからそうではないものまである。

 首相の頭の中には、こういった日本にしたいとか、こういうのがのぞましいといった、理想の像があるとすると、理想郷(ユートピア)とつながってくる。理想郷をとって、そこへ向かって進んで行く。首相によるいまの与党のあり方は、これにまったくよらないのではなく、こうしたところがあるのがかいま見られる。

 理想をとり、理想郷によるようにして、そこへ向かって進んで行く。そのさいに気をつけないとならないのは、逆理想郷(ディストピア)に転化することが少なくはないことだ。逆に転化する見こみはかなり高い。歴史においてこうしたことがおきた例は色々とある。たとえば、旧ソビエト国家社会主義の失敗がある。日本では、戦前や戦時中における大東亜共栄圏の建て前の嘘(イデオロギー)がある。

 理想をいっさい持つなというのではないが、理想郷のようなものによろうとするのであれば、そこには少なからぬ危険性がおきてくるのがあるのだと言いたい。こうすればまちがいなくよくなるのだといったような、都合のよい特効薬や即効薬はあるとは言えそうにない。作用だけではなく反作用(副作用)も見ないとならない。おだやかな遅効というのも大事だ。

 理想郷の世界像によるのには少なからぬ危険性がある。それが遅効であればまだ毒が回るのが遅くてすむが、即効性があるのならかえってより危険だ。まちがいの度合いが小さければまだしも、それが大きいのならかなりやっかいだ。慎重に歩みを細かく進めるようにしたい。