許容しがたい悪さと、そこから浮かび上がってくるよさ(許容しがたい悪さのもつ効用)

 何がよいものなのか。それを知るためには、ひどく悪いものを知るようにする。これはひどく悪いなというのを知ると、何がよいものなのかを知るための一つの手がかりになる。

 政治において、これはいくら何でもひどいなという悪いものが、現実におきてしまっているのではないか。そのさいのよいか悪いかについては、人によって受けとり方がちがうものだから、それぞれでちがっていてかまわないものではある。あくまでも個人としての受けとめ方に限定されるのはあるが、そうとうに悪いことがいまの国の政治において行なわれてしまっているのがあると見られる。

 暫定の結論にすぎないものではあるとして、いまの国の政治がそうとうに悪いのだとすると、その悪さというのは、じっさいに害があるのをわきに置いておけるとすると、よさを知るための役に立つ。うまく行けばよさへの気づき(覚醒)をうながす。たんに、いまの首相の替えとなるようなめぼしい人が見あたらないという話とはまた別のことである。

 いまの国の政治が悪いといっても、具体で見て行かないとならないのはあるし、全部が全部だということではない。悪いところがあり、それがあまりにも目にあまるものだというのはある。とても信頼できるものではない。そこについてを過大化することはできるが、そうではなく過小化する人も中にはいるだろう。それは受けとり方の自由である。程度の問題のところはある。その程度がかなりひどいものだと個人としては見なしたい。

 独立してよさをよさとして認めるよりも、悪いものと対比するとよさを認めることができやすい。いまの時代のよさがあるとして、そのよさを独立としては認めづらいことがある。そのさいに、悪いものと対比するといまの時代のよさを認めやすくなる。悪い時代として、戦争のときがある。反対のものがあることで輪郭がはっきりとしやすい。

 よさと悪さを対比することによって、いまの時代によさがあると認められるにしても、だからといっていまの時代に悪いところがないということにはならない。とくに、いまの国の政治は悪くなってしまっていると見なしたいのがある。その点については、ありがたやとはしたくはないものである。時の権力からの呼びかけにすなおに応じてしまい、現状に追随することによってゆでがえる現象がおきかねないからである。

 いまの国の政治には悪いところは少なくないから、それを見つけて行ければよい。さまざまな問題があり、それらが軽んじられていて、隠ぺいや抹消がされている。そうした隠ぺいや末梢がされているものは、秘匿されているものであり、じっさいに政権が言っていることと、表と裏の関係になっている。表だけではなく、裏も見て行ければよい。