世界で恥をかかないために、引っこみ思案のままでいたほうが多少はましなのではないか(嘘をついてまで、さも世界で活躍していますというふうに見せかけないほうがよい)

  日本はいままで引っこみ思案で、ほかの国々にルールをつくってもらっていた。一生懸命に優等生でがんばってきた。しかしこれからは、ルールづくりが勝負である。日本が率先して世界のルールづくりに指導力を発揮して行くつもりだ。首相はそのように言う。

 首相が言うには、日本はいままでに世界の中で一生懸命にがんばってきた優等生だということだが、これは現状認識が大きくまちがっているものだろう。もし日本が世界の中で一生懸命にがんばってきた優等生だというのなら、国際連合がつくったさまざまなのぞましい条約をとり入れていないとならない。しかし現実には、さまざまなのぞましい条約をとり入れていず、都合よく無視している。これでどこが優等生なのだろうか。

 日本は優等生ではなく劣等生であると言うしかない。まずは、劣等生から優等生になるのを目ざしたらどうだろうか。いま現にすでに日本が国として優等生だというのは現状を見あやまっているものであり、それは世界においては通用しないものだろう。

 日本は優等生であり、世界におけるルールづくりを主導するとしているが、それができるとは見なしづらい。世界の前に、国内において政権はルールをきちんと守れていない。国内でできていないものが、世界でどうしてできるのだろうか。

 日本が文化(ソフト・パワー)に力を注いでいるのならよいが、現実にはそうではなく、物理(ハード・パワー)に力を注いでいるのがある。世界の中でルールづくりをしたいのなら、文化的な力を高めて行かないとならないはずだが、じっさいには物理の力を高めようとしていて、方向性をまちがっている。政権は軍事にお金を多く使おうとしている。

 日本の文化(ソフト・パワー)は、ほかの国から輸入してきたものが多い。日本の独自のものというのは少ない。日本の独自のものはきわめて少ないので、日本が世界の中でルールづくりを主導する必要はほとんどないだろう。世界の中ですでにあるすぐれたルールを、まずはきちんと日本にとり入れるのをするのが先決である。それが不十分なのがあるので、十分にやるようにするのがのぞましい。

 国内においても、また国外においても、政治の権力は、自分たちに不都合な事実をねじ曲げてしまっているのがある。事実にきちんと向き合っているとは言いがたい。これでどうやって、広く世界の中で益になるルールをつくるのを主導できるというのだろうか。できるはずがない。事実にきちんと向き合うことができていないし、ありもしないものである国益に強くこだわっていて、結果として日本の益を損ねてしまっている。そこを改めるのがまずはあればよい。国益共同幻想であり観念(思いこみ)のものだと見なせるから、あまり持ち出さないほうがよい。

 日本は世界の中心(真ん中)にあるのではなく、世界のはずれにある極東の小国である。あまり世界の中心にむりに行こうとせず、分をわきまえたほうがよいのではないか。へんな効力感をもつよりかは、適切な無力感をもち合わせていたほうが、誇大妄想(夜郎自大)におちいらないですむ。