少子化を何とかするという目的にたいする手段はとられてもよいものだろうが、手段の目的化になってしまうのは避けたい

 三人目の子どもを産んだ家庭に、一〇〇〇万円を与える。国民民主党は、少子化を何とかするのがいるとして、コドモノミクスというのを言っている。少子化にたいしてコドモノミクスということだろうが、それだったら、オトナノミクスとか、コウレイシャノミクスや、(シャカイテキ)ジャクシャノミクスや、ショウスウシャノミクス、なんていうのが色々とあってもよさそうだ。

 たしかに、少子化を何とかすることはいるが、その目的にたいする手段として、三人目の子どもを産んだ家庭に一〇〇〇万円を与えるのがふさわしいとはちょっと思えない。まったく駄目だというのではないかもしれないが、公平さに欠けるところがあるし、有効なものかどうかが定かではない。

 三人目にという根拠がもうひとつよくわからないし、二人の子どもを産んでも一円ももらえないのはおかしいだろう。これまでに三人以上の子どもを産んだ家庭は、一〇〇〇万円をもらっていないから、不公平になる。

 少子化を何とかするという目的とややずれてしまうかもしれないが、教育の内容を改めるようにするのはどうだろうか。学校では道徳が教科として教えられているようだが、道徳における反面教師としてかっこうの生きた教材が、現実の社会の中にいる。政権をになう与党の、重要な役職をになっている政治家たちである。

 子どもたちがかりに多少の嘘をついたとしても、もともと子どもはそんなに力をもっているわけではないから、そんなに大したことにはなりづらい。しかし大人(大きな子ども)である権力をもつ政治家が嘘をつくのはまずい。しかしそれを平気で行なっているのがいまの与党による政権のありさまである。社会に与える負の影響は小さくないし、子どもの教育にとってもマイナスだ。

 権力をもつ政治家が嘘をなるべくつかないようにして、悪いことを行なわないようにする。いまは権力をもつ政治家による不道徳なことが行なわれてしまっているが、それを改めることがいる。そして、子どもが学校で教育を受けるさいに、受け身のものではなく、自分から発信したり発想したりすることができるようにうながす。国を愛するという単一の閉じた物語によるのではないようにする。それを全否定するのではないにせよ、ほかのさまざまな物語(見かた)に触れることよって相対化することができるのがのぞましい。国を愛するからこそ、(国民に多大な不幸と犠牲をもたらす)戦争を否定して回避しないとならない。

 権力をもつ政治家の不道徳(嘘など)や教育の内容を改めるのは、少子化を何とかするのに直接には結びつかず、遠まわりではあるかもしれないが、間接には有機的に関わっていることだという見かたは一つには成り立つ。そのほかにも色々と社会の中のまずいところ(経済の格差などを含む)を改めることがいる。それらを改めることがなくて、たんに一定の条件を満たしたところにお金を与えるのでは、悪い手段とは言えないにしても、焼け石に水になってしまいかねない。