人事権のあるなしではなく、そのあつかい方がきわめておかしいし、財務相の(人事について)思っていることには大きな問題がある

 大臣の認識として、今回の人事は最善のものか。報道機関がそう問いかけを投げかけたら、自由民主党財務大臣はこう受け答えた。(最善だと)思ったから私が任命した。人事権はあなたでなく俺にある。

 たしかに、人事権は報道機関の記者にではなく財務相にあるだろうけど、そういう話をしているのではないものだろう。人事権があるからこそ記者は財務相に人事についてを聞いているのであり、もし記者が人事権をもっているのなら、財務相が記者に人事についてを聞けばよい。

 財務相は、人事について、いちおう簡単には説明をしているが、それはきわめて不十分で不適切である。はた目から見たら、最善であるはずはなく、最悪と言ってもさしつかえがないものなのだから、思ったからだとか俺に人事権があるからだというのではまるで答えになっていない。

 俺に人事権があるといっても、それは国民からかりに付託されているだけにすぎないものだろう。国民にたいして十分に納得できるだけの説明をする責任があるはずである。公的な人事の権利があるからこそ説明をつくす責任(義務)がある。それを放棄して開き直ってしまうのはいただけない。民主主義を放棄していると言ってよいものである。にらみをきかせることで、記者が権力チェックで追求するのを放棄させてしまってもいる。財務相のふるまいは、いまの自民党のあり方を象徴しているものだが、いちじるしいごう慢(ヒュブリス)と退廃におちいっているのだと言わざるをえない。