最大限の圧力という言葉に政府は自分たちで酔っているのだとすれば、しっかりとした内実のある判断をとりづらい

 最大限の圧力をかける。北朝鮮にたいして、政府はこれまでそのように言ってきている。日本が最大限の圧力をかけたことによって北朝鮮は対話の意思を示しはじめたというふうに政府はしているけど、かなり飛躍がある見なし方である。

 日本が北朝鮮に最大限の圧力をかけたというのがまず本当かどうかわからない。かりに最大限の圧力をほんとうにかけたのだとしても、そこからどうやって対話の意思を示すことにつながったのかの、途中の段階がまったくわからない。途中の段階がないので、そうとうにみぞが開いている。

 日本は北朝鮮に最大限の圧力をかけているぞというかまえを示したいだけなのだとすると、事実(コンスタティブ)であるよりは効果(パフォーマティブ)をとっている度合いが高い。これこれこうだからこれをするというよりは、言葉のかけ声による効果をとっている。言葉のかけ声による効果さえあればよいのだとなる。その効果を手ばなせないために、最大限の圧力をかけると言いつづけることになる。言葉に使われてしまっているようなふうだろう。

 最大限の圧力を北朝鮮にかけるのは、それが目的というのではなく、何かのための手段だと見なせる。何を目的としているのかをはっきりとさせていないために、後づけの理屈で、何とでも言うことができるようなふうになっている。とくに何かの目的をはっきりとはもっていないから、後づけの理屈をいくらでもつけられるのである。もしそうではないというのなら、はっきりと目的を示すようにすることがふさわしい。そうでないことには、目的にたいする手段の適切さをきちんと見ることができない。

 最大限の圧力というのは、最大というくらいだから、もうそれ以上に強いものは残っていない。最後の手だてのようなものであり、ほんらいなら最後までとっておくようにするのがいるのではないか。最大限の圧力をやりつづけても、相手が何とか持ちこたえられるくらいのものであれば、限界効用は逓減するのだから、だんだん効果は薄くなって行く。

 最小の圧力にして最大の効果が得られるようなものがのぞましい手だというのがある。日本にとって、得られる効果が最大になり、なおかつ最小ですむ圧力をかけるようにする。圧力をかけることが目的なのではなくて、それは手段にすぎないのだから、最大のものでなくてもとくにかまわない。

 最大限の圧力をかけるという言葉によるかけ声は、政府の自己満足にしかなっていないのであれば、じっさいには無力(無効)であるという見かたをぬぐい切れそうにない。じっさいには無力だが、うわべでは効力(有効感)があるというような演出をしているだけなのだとすると、それをすることにじっさいの意味はあまりないだろう。見すかされてしまうことになる。