首相の中の夫人の立ち位置がぐらついているような気がする

 妻はまったく関わっていない。妻は私人であり、答える必要はない。首相は国会でそのように述べていた。首相夫人について、政府は私人であると閣議決定したのはある。私人であるから答えなくてもよいというのはたしかにそうだけど、それはもしほんとうに私人であればの話である。うたがいようもなく私人であればの話である。

 首相夫人は、私を首相夫人ということで色々なことにぜひ使ってくださいと言っていたとされる。これは、首相の肩書きをいかんなく使っていたのをあらわす。私人であれば決してできないことである。首相の夫人という形で、色々なところに関わる気が満々だったのである。当人はそれをよいことだとしていたのがうかがえる。

 首相の夫人ということで色々なことに自分を使ってほしいというのは、善意から出たものではあったのかもしれない。善意というだけではなくて、自分たちにも利益になるという計算ももちろん少なからずあったにちがいない。首相の夫人ということで自分を使ってもらいたいというのは、よからぬ他人のたくらみに使われてしまう危険性がおきてくる。その危険性にたいしてわきが甘かったのはいなめない。わきが甘かったことについて、自分はあくまでも純粋な善意からやっていたのだというのはちょっと通らない。うかつだったことに非があるのはたしかである。

 妻はまったく関わっていないというふうに首相は言っている。これは、首相夫人が自分から色々なところに関わる気が大いにあるという意思を示していたのとつじつまが合いづらい。意思を示していただけではなくて、じっさいに行動をしていた。夫人の秘書は五人もついていたという。色々なところに関わる気があり、じっさいに関わるための行動もしていたのだから、まったく関わっていないという断言はできない。そこについてはなるべくきちんと調べることがいるものだろう。

 じっさいには夫人は私人では決してできないようなことをしていたのだから、それをいくら私人であるという閣議決定をしたからといって、私人になるというふうには見なしづらい。夫人の代理として首相は国会で夫人についてのことを受け答えていたが、ほんとうに夫人が私人であるのならいっさい答えなくてもよかったものだろう。それを答えたり答えなかったりしていて、答えても信ぴょう性が低いし、中途半端になってしまっている。首相の中でもよくわからなくなっているのがうかがえる。夫人が私人であるというのがねつ造であるのを示しているのではないか。