忖度されたことは(忖度された側は)わからないというけど、忖度された結果として悪いことがおきたのなら、忖度された側に少なからず悪いところがあると言えはしないだろうか(一つの視点として)

 指示はしていない。部下に指示はしていないが、(自分は)部下から忖度される側であるため、忖度されたことは分からない。忖度された側(である自分)はどうだったのかはよく分からないと、自由民主党安倍晋三首相はテレビ番組の中で述べていた。首相は、よくわからないと言うが、それではいそうですかでそのまま通るのなら、世の中はいささか甘い(優しい)のではないかという気がする。きちんとよく分かっていなければならないのではないか。

 健全な上の者がいる健全な組織の中で、忖度が行なわれるのならまだしもよい。そうでないのなら問題である。政権与党でいまとり沙汰されている疑惑では、不健全な上の者がいる不健全な組織の中におけるできごとのおそれが低くない。そう見なせるものだとできそうだ。

 組織の中で、上の者は、何がよいことで何が悪いことなのかを、はっきりと示すことがあるとよい。よし悪しや、目ざすことなどを、ことあるごとに口を酸っぱくして言う。ことあるごとにというのはできづらいだろうから、理想にすぎないけど、それを示すことによって、下の者はそれをもとにして動くことができやすい。一方的ではなく、双方向のやりとりなんかがあるとのぞましい。

 組織の中の上の者がもつ善悪のあり方が狂っていると、下の者がそれを基準にしてしまいかねず、上も下も狂うということになる。上も下もどちらもおかしくなる。

 上下のあり方として、上の者が一方的によし悪しや目ざすことを下のものに押しつけるのだとのぞましくない。閉鎖性によるようになる。開かれたあり方ではなくなる。

 組織の中で、上の者はきちんとしていて、下の者がおかしいというのは、考えられなくはないが、かりにそうであるにしても、下の者がおかしいことをやったことの責任を上の者がとるのがあってよいものだろう。それに加えて、下の者を厳正に処罰することがいる。いまの政権与党は、この二つのどちらもが欠けてしまっていると見なせる。二つとも欠けているということは、不健全な上の者による不健全な組織のあり方になっているということになり、そこできわめておかしな不正の忖度が必然としておきてしまったのではないだろうか。

 政権与党のあり方はそこまでおかしいものではない、という見かたもできなくはないかもしれない。個人的にはその見かたはとりたくはないものであり、その理由として、組織の中の上の者のあり方を下の者が真似てしまい、それが不正の忖度として出てきているのではないかというのがある。この理由は客観とはいえず、あくまでも主観による推測にすぎないものではある。推測だからまちがっているおそれはあるが、真似をするということで、悪い空気に染まってしまうというのがあり、そうした模倣(ミメーシス)というのはあることだ。このいちじるしく退廃した空気を刷新するには、上の者を交代させたほうがよいだろう。