はめられたのにちがいない。記者に役人が性の嫌がらせをしたことについて、じつは(じっさいには)役人が記者にはめられたのだとする。自由民主党の議員の人はテレビ番組の中でそのように語っているという。記者の人が、役人の音声を録音したものを週刊誌にわたしたことを、ある意味では犯罪だと言えるとしている。
議員の人は、役人がはめられたとして、ある意味では犯罪だとしているけど、これはそのまま受けとることはできづらい。疑うことがいるものだろう。役人が記者にはめられたのだというのなら、はめたということの証拠を示すのがいる。録音とは別に、それがないのであれば、決めつけることはできそうにない。
一つの文脈として、役人が性の嫌がらせにあたることを記者に言い、記者の精神が傷つけられたというのは、おおむねとれるものである。性の嫌がらせはいけないことだがとか、あってはならないことだがとかというのは、建て前としてのものであり、一般論であり、原則であるのをあらわす。この原則とは別に例外があるというのはできるが、例外を持ち出すよりも、まず原則から具体の例を見ることがいる。原則に照らしてみて、具体の例を見てみるようにして、それで性の嫌がらせに当たるのであれば、そこに主となる重心をおくのがよい。重心をずらしてしまうのはどうなのだろうという気がする。論点がずれてしまう。