いきなり解散の利と害があるとして、誰に利となりそうで、どういった害がありえるのかを見るのは、必ずしも負け犬の遠吠えとはいえないだろう

 解散の風が吹きはじめた。自由民主党安倍晋三首相は、衆議院を解散することを目くろんでいると報じられている。野党が求めていた臨時国会が開かれるが、その冒頭で解散の宣言をすると見られている。それがなかったとしても、近々に解散の宣言を発することをねらっているという。

 臨時国会では、いまだに解決されていないものである、森友学園加計学園の不正の問題がとり沙汰される見こみである。これによって(この問題の当事者の一人とされる)首相は野党からきびしい追求をされることになるのがある。そうした追求をされるくらいであるのなら、いっそ解散をしてしまう。そうした魂胆がはたらく。直接の証拠は出ていないにせよ、これまでの説明に著しい不整合があるのはいなめない。それを突かれるのからとりあえず逃れたいとする思わくがありそうだ。

 首相は衆議院の解散権をもつ。なので、その解散権を使うことはとくに問題はない。規則に反してはいないわけである。そうではあるが、国民のためになるのではなく、たんに自分の党が有利なときに解散権を使ってしまうと、党のためにはなっても、国民のためになるとはおよそ言えそうにない。

 疑問がもたれつつも、しかし権利は権利であり、規則には合っている。そうしたこともあるわけだが、逆にいえるとすれば、たとえ規則には合っているのだとしても、それだからといってその行為がふさわしいものであるかどうかはまた別の話だといえそうだ。

 解散権はたしかに首相の権利ではあるだろうけど、それはそれとして、それとは別に説明責任の義務があるのではないか。事態を灰色のままでうやむやにするのはできれば避けたいところだ。表に引っぱり出された当事者があり、かたや雲隠れしてしまっている当事者もいる。一般人ではないといえるから、せめて一回くらいは表での説明があってもよさそうだ。

 解散の手を使わないで、きちんと国会の中で説明責任の義務を引き受ける。それで謝るならば謝るようにする。これは、もしそれをすることがいるのであれば、それほど難しいことだとも言えない面がある。危険さはあるわけだけど、それで乱雑さ(エントロピー)が吐き出されれば、そのほうがどちらかといえばまっとうだ。

 権力者は強者であり、その強者にとって有利なときに権利を使ってしまうのは、それをさしひかえる判断があってもよさそうである。ほかの党のこともあるわけだから、そこをおもんばかることはできないものだろうか。そんな生やさしいことを言っていては競争の中でやってはいけないのかもしれない。そうはいっても、権力者である強者に有利にはたらいて、弱者に不利なようであっては、その競争は出発点からしておかしいものである。

 規則には合っているとはいっても、それと同時にできるだけ正当性もないといけないだろう。それがないのであればやることが空虚になってしまうし、それで競争に勝っても適者が生存したとはちょっといえそうにない。負けて不適者が淘汰されたともいえないだろう。つまり、あまり気持ちのよいものではなさそうだ。どうせなら、正々堂々と(強者と弱者が分けへだてなく)公平に競争をして、そのなかで力を出してゆく。結果として勝つにせよ負けるにせよ、それを受け入れればよいのではないか。そのほうが気持ちがよさそうだ。理想論にすぎないのはあるわけだけど。