関係を解消しようとしている過程で、それとは別の新しい関係を築くときの、判断の難しさ

 夫婦で、離婚するのを協議している。そのさなかに、担当している弁護士と不倫をした。このようなことが報じられている。

 夫婦で離婚の協議をしているときに不倫をするのは、どうなのだろうか。これはこれで、ある面では大目に見られてもよい例はありえる。そこまでひどく批判されなくてもよいのがあるだろう。というのも、すでに夫婦の関係はほぼ破綻していると見なしてもよさそうだからである。まだ破綻しきってはいないのもありえるけど、少なくとも夫か妻の一方の気持ちは離れてしまっていて、それをお互いがわかっているといったことになっていそうだ。

 そうはいっても、ほぼ破綻しているのと、完全に破綻したのとでは、一緒くたにはできないかもしれない。ほぼ破綻しているときに不倫をしてしまうと、関係にとどめを刺すようなふうになってしまいそうだ。それに、節操の問題もあるから、あんまり節操のないことをするのはほめられたこととはいえそうにない。

 一と口に不倫とはいっても、十把一絡げにすべてを一緒くたにするのだと大ざっぱとなる。これは、表現(シニフィアン)が先か内容(シニフィエ)が先か、といったことで見ることもできそうだ。表現として使われる語の熱量がそもそも高く、そうした表現が先にくるから、不倫だとして非難されるのがある。それとは別に、内容を先に見てみると、これはそこまで非難されなくてもよさそうだな、といった例もあるはずだ。そうした例まで問題だとしてしまうと、叩くために叩くみたいなことにもなりかねない。

 あつあつの夫婦なのであれば、そこには(人情をともなった)温かい義理があり、お互いを結び合う紐帯(ちゅうたい)がある。しかし、気持ちがそうとうに離れてしまっているのであれば、冷たい義理となってしまっている。これはいわゆるお義理といわれるものだ。たんなるお義理になってしまっているのであれば、そこには人情はあまりなくなってしまっている。

 たとえ冷たい義理ではあっても、義理は義理なのだから、守られないとならないものだろうか。もしそうであるのだとしても、形式的なふうになってしまう。内実がともなっていない形式にはたしてそこまでの意味があるのかは若干の疑問である。

 車の運転でいえば、目的地にもうすぐ着きそうなところであんがい事故がおこりやすいという。もうすぐ着くので、そこで気がゆるんでしまう。それと同じように、離婚の協議をしていて、まだ離婚がきちんと成立していないけど、成立するのぞみによって気がゆるんで不倫にいたる。そうしたことがありえそうだ。なのでその点に気をつけるのがよいかもしれない。