閣議決定の決定不能性

 政権与党は、閣議決定を連発している。そうしたことにたいして、反論することができたらよさそうだなと感じた。頭ごなしの反論でないのだとしても、少なくとも弱い反論くらいは受けつけてもよいはずだ。そうしないと、一元的な教条主義にならざるをえない。外からの声に耳をふさぎ、内にこもってしまうようだと、それは必然的にイデオロギーとなる。

 言語行為論というものにおいて、事実(コンスタティブ)と執行(パフォーマティブ)の 2つの面があると言われている。それでいうと、政府による閣議決定では、もっぱら執行の面が強く出ている。ある一つの閣議決定の中で(in)、またはそれによって(by)、政権にとってふさわしいことがらを成り立たせようとしている。

 事実なのかそれとも執行なのかが、はっきりとは分けられず、混ざり合っている。そうした点において、閣議決定は決定不能さをかかえている。政権としては、演繹による上意下達のありかたにもって行きたいのだろう。しかしそうではなく、決定不能さをふまえつつの、(断言をしない)帰納によるありかたをとったほうがのぞましい。そのほうがどちらかというと現実的である。

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