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憲法とあんパンを比べることは妥当なのだろうか

 憲法はたんなる紙の上に書かれた文字にすぎない。しかしあんパンはお腹を満たしてくれる。飢えをしのぐこともできる。なので、お金を出してあんパンを買うことのほうが意義があるのではないか。このような内容のツイートがあって、このツイートをした人は所属する会社から厳重注意を受けたという。この注意は、ほかの意見にかんしても含まれていたそうである。

 憲法とあんパンを比べるのは、花より団子みたいなものでもあるだろうか。空腹を満たしてくれるという点ではあんパンに利点があることはまちがいがない。そうはいっても、そもそも憲法とあんパンは比較するのに適しているものなのかというのが疑問である。なにか共通したところや、似ているところがあれば、比べるのにも意味があるだろうが、そうでないのなら比べても意味があまりなさそうだ。比べるさいのものさしが適したものでないと納得がゆきづらい。

 憲法には憲法の効用があり、あんパンにはあんパンの効用がある。このように見なしたらよいのかもしれない。それぞれに質感(クオリア)があるわけである。あんパンはたしかに空腹を満たしてくれるわけだけど、満腹のときにあんパンをさし出されてもそれほど価値はない。連日にわたって毎食あんパンが食卓にのぼることになれば、うんざりしてしまうのではないか。限界効用逓減の法則がはたらく。

 あんパンは食用の作物からできているものであるわけだけど、憲法もまた一つの作物だといえるかもしれない。作物というとちょっと言いかたとしておかしいところがあるが、作られたものなわけだから、一つの労作(クラフト)みたいなものではあるだろう。当時の人が少なくはない労と情熱をこめて作ったものである。

 マルクス主義においては、あらゆる物は歴史における闘争の産物であるとされるそうだ。歴史の文脈において闘争が見いだせる。あんパンについてであれば、それは自然との闘争によってつくられている。闘争というとちょっと変ではあるが、自然を否定(変形)しているわけである。いまの憲法においては、明治憲法が否定されてできあがっていると言えるだろう。のりこえられている。それによってよいものになったわけだけど、すべての人がそう思うのではなくて、なかには明治憲法のほうがよいと見なす人もいるかもしれないから、決めつけてしまうとひんしゅくを買うかもしれない。

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